jaguar del bnこと並木 恵です。
オルケスタYOKOHAMA( http://tango-yokohama.jp/ )でバンドネオンを弾いています。
'80前半、vl.齋藤一臣(以下、敬称略)によって結成された横浜タンゴ楽団、結成数ヶ月後にオルケスタYOKOHAMAの前身であり、シエテ・デ・オロとも呼ばれたこの楽団は、極わずかなレパートリーでお披露目コンサートを挙行。会場には人が溢れ、急遽、入替制2回公演に切り替えました。といっても5~6曲ですから、解説つきでやって、次に解説なしで通して演奏と1回の構成自体はお粗末なものでした。演奏者の度胸をつけるためにやったようなものですが、聴衆の興奮はものすごいものがありました。そのコンサートに照明係として手伝いに行って、仕組まれた罠にはまり、そのままバンドネオンを手にしました。弾ける音だけでいいからと言われて、3ヶ月後には、第3バンドネオン奏者として人前に出ていました。幾多のメンバー交代があり、その過程でオスバルド・プグリエーセに注力する体制が作られ、当時はバリバリのバンドネオン奏者だった評論家の斎藤充正がレコードからコピーした譜面で練習し、'86に古いカサ・デル・タンゴでタンゴ界の重鎮を前に演奏、ラジオ出演、テアトロ・アルベアールでプグリエーセ楽団との合同演奏会を行うに至りました。その当時の様子は、齋藤一臣著「青春の音」に詳しく書かれ、これを下敷きにしたタンゴ・オペレッタ構想が進行中(2010年春公演予定)です。
その後も様々な人々の支援と幸運に恵まれ、ホテルでのタンゴショーのために数ヶ月間来日していたbn.ダニエル・ビネリにバンドネオン奏法を習い、また、同じくbn.アルトゥーロ・ペノンを横浜に呼んでもらい数ヶ月習ったこともありました。
今の自分の体では当時習った技術水準を維持するのに精一杯ですので、成長が著しい若いバンドネオン奏者が活動しやすくなるよう、支えたいと思っています。また、日本のタンゴファンも単に新陳代謝が進んだだけでなく、踊りと音楽の親和性を深く理解し、双方を楽しむ人たちが増えてきています。私自身はこれに詩・歌も加えたいと考えています。
タンゴが私たちの生活に深く溶け込んで、足の裏から頭まで力強く支えてくれるよう、願っています。
北九州・福岡を拠点に、全国各地で、また地球の裏側でも大活躍のトリオ・ロス・ファンダンゴスの谷本仰さんを紹介します。アルゼンチンタンゴ、フリージャズ、クリスチャンと色々な面で共通点があり、トリオ・ロス・ファンダンゴス3の最終トラックのドン・ファンでは、cb.齋藤徹を加えた横浜でのライブの音源提供をさせていただきました。
横浜から、北九州に蹴り上げたボールがどこにパスされるか楽しみです。
ブエノスアイレスの夏-オスバルド・プグリエーセ楽団
ダニエル・ビネリが楽団の指導に来てくれたとき、vl.のフリオ・ペレシーニも同行してきたのですが、その翌週にはピアノ奏者も勝手にやってきました。プグリエーセ楽団のアレンジによる「ブエノスアイレスの夏」の練習を始めたところ、立ち上がって途中で練習を止めさせたそのピアノ奏者は私たちに向かって、ラプラタ川の畔にあるブエノスアイレスの夏は、いかに湿気が多く、暑いものか、長く長く語りだしました。歩き回りながら、両手を広げ、膝の高さで立ち上ってくる陽炎を表現し、cb.齋藤徹に「その陽炎の上で指揮をするんだ」と教え、練習再開。その時に出た音の凄さは、今でも記憶に残っています。
その時は、全然知らなかったのですが、このピアノ奏者はオスバルド・レケーナでした。タンゴだけでなくアルゼンチン音楽全般に亘る大マエストロだったのです。当時私たちの楽団員だった故g.高柳昌行の呼びかけで齋藤徹宅で開かれたアルゼンチンタンゴの歴史をレケーナから学ぶ集まりに参加したのも懐かしい想い出です。
私の人生に密度の高い豊かな時を与えてくれたアルゼンチンタンゴに感謝し、これを象徴する一曲として選ばせていただきました。
夏は暑いので、例月練習場で行っている「タンゴの家(友の会)コンサート」は、お休み。
2009年9月27日(日)第21回タンゴの家(友の会)ライブから再開します。場所は、いつもの三田塾ホール。
ついで10月17日(土)に楽団員の平田耕治率いるカンバタンゴとジョイントのコンサートを横浜市開港記念会館で行います。
どちらも、ご予約はオルケスタYOKOHAMA事務局、電話045-316-8339まで。