[特別寄稿 2009年9月] バンドネオニスタ ブエノスへ行く ~ 仁詩

バンドネオニスタ 仁詩が、今年もブエノスアイレスへ旅立ちました。
彼のブログ『バンドネオンと仁詩の日常 』http://hitoshi-bn.jugem.jp/

ブエノス到着! 2009年07月18日

早いものでもう到着。時差ぼけもあまりなく、私は元気です。

そして無線LAN開通。快適快適。今回はセントロのめちゃ便利なところに住んでいるので交通便も快適快適。2年前にはなかったライブハウスやらテアトロが増えているようなので、かたっぱしからチェックしていきたいと思います。とりあえずこれから30時間ぶりのシャワーを浴びてランチに出かけたいと思います。

ちなみにインフルエンザはそれなりに出ているようですが、テアトロとかは昨日くらいから開いていて、映画館、ライブハウスなどは普通に営業しているようです。

昨日は、アサードを食べにレストランへ。

フロリダ通りの二つ横のレコンキスタ通りっていつのまにか歩行者天国になってるんですね。パブとレストランにクラブがたくさんであります。

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0719-01.jpg 一昨日はAl Carbon というレストランにいきまして、アサード(骨付き肉)とビッフェ・デ・ロモ(サーロイン)を注文であります。付け合わせは、トマトとモツァレラチーズのバルサミコサラダとパパ・プレ(マッシュポテト)をば。

うーむ。めちゃおいしいであります!

しかもこの国では結構珍しくブラックペッパーとかをサービスでトッピングしてくれるので香ばしさもアップであります!また付け合わせもかなりおいしく、これにキルメス・ビールを飲んで満足満足。で全部で一人70ペソほど。やはり物価はかなり上がってます。飲食代の時にそれはすごく思います。ただ現在、1ペソが25円ほどなのでこれで約1750円ほどかな。

あと昨日はこちらでご夫婦でペンションを営みながらダンサーをされているマイミクのTango funさんのお宅にいってきました。彼らとは先日東京でも2年ぶりにお会い出来ましたが、またブエノスで会えると奥様のAnaさんが「おかえり~」と言ってくれてかなり感無量に。そして、日本でお会いした時に「またAnaさんのケーキが食べたいです」と密かにリクエストをしていたのを覚えていてくださったのか、バナナケーキでお出迎え。また嬉し。でも食べるのに話すのに夢中で写真とれず(笑)

僕のCDをプレゼントしてさっそく聞いてもらう。お二人ともすごく喜んで、そして「みんな大好き!」と言ってくれて、また嬉し。そんな一日でした。

お二人のペンション Casa de Ana のアドレスは http://www012.upp.so-net.ne.jp/tango-fun/ です。お人柄もよいお二人ですので、もしブエノスでのお宿を探していらっしゃる方は一度見てみてくださいね。

ドレーゴ広場の日曜市 2009年07月20日

僕はホームシックというのはあまりかかったことがないですが、何度ブエノスに来ても思うのは「やっぱり僕は日本人なんだなぁ」ということをまた再確認。それはいろんな場面で。

それだけに短期間の滞在だと色々と刺激をうけれて楽しいです。長いこといると僕は駄目な人になりそうだけど(笑

昨日は朝の食事にこちらで朝マック(笑)

9ペソくらいだったので250円ほどでしょうか。ままそれならそんなに高くないかも。
ただトールサイズくらいのコーヒーとベーコンと卵のベーグルだけなので、これだけだとちょっと少ないかも。

昼はドレーゴ広場の日曜市に。

相変わらずのにぎわいで、生演奏もたくさん。タンゴのオルケスタが前より増えていたのか僕と同世代くらいのバンドもいろいろあって僕も2つ聞いてきました。

1つ目はCiudad Baigon というバンドで
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※注:Orq.Tipica “Ciudad Baigon”が正式名称で、”Ciudad Baigon”って仮想の街のオルケスタという想定で楽団をくんでるそうです。 http://www.ciudadbaigon.com.ar/ by TANNYさん

こちらは曇り空なのにグラサンかけたピアニストが印象的。この人結構うまかったです。ただかわいそうなことに、そのピアノがすでに寿命なのかヴァイオリンより前に音が出ていなくて。。。しかもヴァイオリンの音程がよくないのとバンドネオンが結構優しい演奏でした。ヴィオラのお兄さんと1stヴァイオリンの女性の視線がほぼずっと観客に向けられていてちょっと気になりましたけど(笑)あと歌手がよかった!この人マイク無しで歌っていましたが、それで充分でしたね。

2つ目はEl Afronte というバンド
0720-02.jpgこれは2年前にきた時も同じ場所でやってましたね。演奏のレベルも同じでしたけど(汗

ここもピアノがうまい。ベースもうまいんだけど、なんでフードにサングラスなんだ。。。怪しすぎる。そして楽器をたたき過ぎでした。かっこいい!

けど楽器壊れそう。。。バンドネオンはやっぱりきっちり調整してないのか、音がイマイチ。蛇腹も痛んでいる感じでした。でも迫力はさすがにあって、やっぱり顔で弾いている感じがタンゴだなぁと。ちょっと姿勢とか悪すぎて老後が心配だったり(笑

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これはタンゴではないのですが、クラシックギターのおっちゃんのデュオがあったですがこれが素晴らしかった!なんでここで弾いているんだというレベル。こちらも手前の男性がかなり顔で弾いている感じ(笑

顔大事!

ドレーゴ広場デビュー 2009年07月21日

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いやぁ、ちょっとだけのつもりだったのですが、フリアン・プラサのダンサリンを一曲踊ってしまいました。

だって交代相手がいなかったんだもん。。。

ベニヤ板はかなりがたがたでしたがおもしろかったです。終わってから本来のダンサーのおじさんにダンス講義を受けつつ、がっちり握手。ちなみに踊った方じゃないダンサーの女性とは夜にミロンガで会いました。(世間は狭い。。。)

洗濯物とかほせなくて、ぐわー 2009年07月21日

いやぁ、今日のブエノスは雨、雨、雨です。さっきは雷とかもすごかったです。ぐおー。

いつもなら雨が降ったらたまった洗濯物とかほせなくて、ぐわーとか思っていたのですが、今回は干すスペースが無い代わりに、近所にランドリーがあるので助かります。一回まとめて出して、15ペソほど(400円くらいかな)なので短期滞在の身としてはかなり便利。ただ昨日、取りに行ったらドライクリーニングじゃなくて普通の水洗いでお願いします。とお願いしたはずが、「水洗い」のみを頼んでいたようで、ということは。。。洗濯物は脱水だけされた状態でこちらに帰ってきました。次からは気をつけよう。

今朝の jamon crudo con ensalada rusa です。豆と人参入りのポテトサラダマヨネーズ和えに生ハムのEntradaです。
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ちょっと塩味がこいかもとおもいましけど、すごくおいしかったです。パンも出してもらいもぐもぐ
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これにCafe con leche(ミルクコーヒー)をつけて21ペソ(525円)でした。近所でいいレストランをみつけたのでしばらく通って店の人とちょっとでも仲良くなりたいと思います。今度はここのお肉も食べようかな。

ちなみに練習スタジオにいたわんこです。
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かわいすぎる。。。。しばし癒されました。

タンゴの生き字引 2009年07月22日

老舗ミロンガのサロン・カニングSalon Canningに行ってきました。

この日のメインゲストはかのディサルリ楽団、ミゲル・カロー、ペドロ・ラウレンス、エンリケ・マリオ・フランチーニなどの超有名楽団で歌ってきたタンゴの生き字引ともいえる「アルベルト・ポデスタAlberto Podesta」のライブがありました。
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御年80オーバーの御仁ですが、いやはや、若い頃とかわらないビブラートの素敵な歌い回しでした。確かに今の人はやらないようなこともいっぱいあったり、ちょっと音外してたりとかはもちろんあるのですが、そんなのは関係ない、タンゴそのものがそこにありました。きがついたらワインをがしがし飲みながらゆらゆらと聞いていました。(ちょっと今二日酔い)

0722-05.jpg彼ともバッチリ記念撮影。イエイ。

彼の歌った曲は往年のレパートリーだと思うのですが、ミロンガでもよくかかっている曲ばかり。Nadaとか最高でした。なかなかこういうマエストロな歌手は日本にきてくれないので、ありがたやな時間でした。来月またあるらしいのでもう一回聞きたいなぁ。

この日はDJがダミアンという2年前にブエノスに来た時にもお世話になった日本が大好きな彼。久々の再会を喜んでさっそく彼に自分のCDをプレゼント。サインも求められたのでもちろんサイン。

そうこうしているうちにダミアンが僕のCDをかけてくれることに(すでに2時を回っていましたが)。

曲順は

A Evaristo Cariego
Comme il Faut
Ensuenos
Adios Nonino

でした。アディオス・ノニーノを選んだところに最初びっくりしましたが、彼曰く「ロマンサ(ロマンチック)に決めたい」とのこと

なるほど。それもありなのね。聴衆の反応はかなりよくその日のオーガナイザーやダミアンの友人のダンサーたちや常連のミロンゲーロにもすごく反応よく、嬉しかったです。

マエストロ・ポデスタにもほめていただけてなお嬉し。最初は「本当にお前が弾いているのか?」とか言われましたが(笑

でその流れで今晩ダミアンのお家であるちょっとしたパーティにお呼ばれすることになりまして、そこで一緒に来ているピアノの大長さんと演奏することに。今日はこちらで初めて人前で演奏。

前回のブエノスでも実はちょこっとは弾いておりましたが 2009年07月24日

今回はそういう意味ではきっちりとした形でしかもいい場所で。

演奏日程が一つ決まりました!

もちろん場所は「サロン・カニング」。8月4日Mina Milongaの日にマエストロ・ポデスタのライブがまたあるのですが、それの前座で演奏することに。現時点で8曲弾く予定をしています。前座にしては長い!

0724-01.jpgTango funさん、DJのDamianありがとうございます。写真は、そのDamianがギター弾いているとこです。

昨日はそのDamianのお家で食事会というかエンパナーダ食べながらワイン飲む集まりに行ってきました。ピアノの大長さんはこっちで電子ピアノをゲッツしたのでタクシーにそれを載せて二人でえっちらおっちら行ってきました。今日はTango funさんもくるということでそれも楽しみに。そして無事Damian宅に到着。でTango funさん、いませんでした(汗

もちろん後でこられたのですが、なにやら19時からのプライベートレッスンの人が1時間半近く遅れてきたらしく、しかも1時間の予定が1時間半になったようで。。。自由ですなー。お客さん。

ということで頑張って色々と皆さんとお話することに。昨日はダミアン(アルゼンチン人)以外にイタリア系の男性が2人と台湾系アメリカ人の女性が1人に韓国人の女性が1人いらっしゃいました。それに僕ら日本人が3人のアジア色豊かで色んな人種が集まったのですが、基本的にトークはスペイン語。まま、英語だったとしても辛いんですが。。。でも意外とスムーズにはなせて、結構耳の方は復活してきてるなぁと。あとはもうちょっと文法と単語だなぁ。

で最初はエンパナーダ祭りでした。ハムとチーズのやつに牛肉、鶏肉の三種類のエンパナーダでした。やはりおいしいですね~。そしてワインが進む進む。でもこれから演奏しないといけないのでほどほどに。。。

Ariel Arditライブ!そして久々に。。 2009年07月25日

さて行ってきました。アリエル・アルディトAriel Arditのライブ。サンテルモにあるCentral culutral Tassoへ。バンドネオンはフリオ・パネJulio Pane、ギターはウーゴ・リバスHugo Rivas。ウーゴ・リバスは初めてかなーと思ってたら4年前に初めてブエノスに来た時に聴いたレオポルド・フェデリコのスペシャルオルケスタのコンサートの前座を弾いていました。

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いやー、めちゃすごい!テクニックはもちろんですが、すごくいい歌心。そして全暗譜。すごー

フリオ・パネは凄腕のファンホ・ドミンゲスとよくデュオで演奏していますがアレンジとかはその時のを基準にしているのかなと。

Un Placer
Milonga de mis Amores

も最高でしたが、お互いがソロを1曲ずつ弾いてくれて、フリオはLos MareadosをウーゴはNostalgias でした。これがすごくよかった。で、メインのアリエル・アルディトですが、これもまたしみじみとええなぁと。彼の歌はエル・アランケでしか聴いたことありませんでしたが、バンドネオンとギターのデュオでもまたいいですね。アンコールのMaripositaがまたよくてじーんときました。

ファンもいっぱいで約150人くらいのお客さんでした。エル・アランケのギターのマルティン・バスケスも来てましたよ。Mr.ビーンに似たあの人です(笑 まゆげ太いです。

そして終演後は同じサンテルモのミロンガ、Nino bienへ。一瞬、番地を忘れたあげく、
タンゴマップとかも持ってきていないというポカをやらかしましたが、持ってきていたdocomoの世界携帯にてGoogleにアクセス!

10秒で番地が判明。
Viva! docomo!

で無事到着。

0725-03.jpgそこで久しぶりに友人のダンサーのダニエル Daniel Nacucchioに会いました。ダンス関連の方はご存知だと思いますが、彼は去年のタンゴダンスのサロン部門のチャンピオンなのです。ブエノスや海外での活動も活発になってきているみたいで嬉しい限り。

先日のダミアンのお家で会ったアジア系の女性陣が実はダニエルの生徒だったそうな。世間はブエノスでも狭い。。。語学をネタにしたトークというのは本当におもしろくそして言葉の勉強になるのでもりもり話していました。英語、スペイン語 韓国語、そして日本語を交えてワールドワイドな時間でございました。

昨日はみんなでスパークリングワインを飲んでましたが、こっちだとそれにエンパナーダがあうあうあう。あと昨日の昼ご飯は遅めだったので(18時前かな、もう晩飯か)サーロインのマッシュルームソースがけを頼むことに。今までも何度か食べてますけどこれはきっちり味付けがされてるのでやっぱりおいしいですね。今日は何をたべようかなー

そういえばブエノスは昨日から急に冷えてきましたよ今日はどうなるかな。こっちの冬の寒さをちょっとなめていたみたいで軽装でぶらついているわけにはいかないそうです。。。

なにか服買ってきます(笑

いやいや全部リディア・ボルダのオンステージですよ 2009年07月26日

さて、今日は昼過ぎまで寝てしまっていたので現在ぽちぽちと書いております。でもまだ眠い。。。完全に昼夜逆転しております。

昨日はまたサンテルモにあるTassoに。お目当ては初めて聴く歌手の「Lidia Borda」。

彼女の歌声は昔のタンゴの其れとは違うのですが、なんともいえない色っぽく透き通った声にすごくパワーのある歌い回しがすごくいいです。僕の今の一番好きな歌手の一人です。わくわくしながらTassoへ。

前日は最初にバンドネオンとギターのデュオが数曲やっていたのでこの日もそうかなと思っていたら

いやいや全部リディア・ボルダのオンステージですよ

0726-02.jpg素晴らしい!最初はピアノソロと。次はギターソロと。それからハーモニカを入れたりチェロを入れたりとタンゴというよりかはポップス的な嗜好なのだと思うのですが、僕はすごくいいなと。

このライブは彼女が比較的最近出したCDの関係のようで、CDの中で演奏しているプレイヤーにはなるべく出てもらいたかったようです。なので色んなパターンでのバックと共に聴けました。実際CDはかなりのペースで聞き込んでいたのでCDの曲が始まると興奮度が倍増!頭の中で一緒に演奏してました(笑

0726-03.jpgこの店ではだいたい長い1ステージだけの日が多いのですが、この日は2ステージ。まま喉を休めないといけないですからね。でもリディア・ボルダは演奏の合間に基本的に水とか飲んでませんでした。喉もお強く、きれいな発声をされているようです。最高でござりました~。

さてさて終演後、帰ろうかなと思ってたんですが、やっぱりリディア・ボルダと話したい!ということで機会を狙ってたのですが彼女は二階の楽屋からまったく姿をみせず。このままでは会えない。。。。ここで僕に勇気を!

Camarelo(ウェイター)の兄ちゃんに、

Puede usted firmarme autografo de Lidia Borda , por favor?
(リディア・ボルダのサインをもらうことはできますか?)

多分これであってると思うのですが。ドキドキ。。。

ウェイター「Muy bien(大丈夫!)!」

うおおおおおおおおおお

そして楽屋に連れて行ってもらい、写真もパシャリ。一緒に行った大長さんと三人で。これは嬉しい!

0726-01.jpgそして、この機を逃しては!と自分のCDをプレゼントしたら「Tu Palida Voz」が中に入っているのをみて、リディア・ボルダがすごく喜んでくれました。

この時に思い出しましたが彼女は2つ前のCDの1曲めでこのワルツを歌っているんですよね。そのCDにはミロンガでもよくかかる「Paisaje」がアリエル・アルディトとのデュエットで入っております。どれも素晴らしい~。最近出たVale Tango のSalonというCDの中でも彼女はYuyo Verdeという曲を歌っていてこれもいいですねーという話をリディア・ボルダには伝えれて満足。

今年のタンゴフェスティバルには出ないらしいので残念がっていたら来月に別の場所でまたライブをするらしいです。詳細は未定らしいですがヴァイオリンがパブロ・アグリ!だそうなのでこれはいくしかない!!!!僕のCDで演奏してくださったヴァイオリンの石井有子さんは以前にパブロ・アグリに習ってらっしゃったのでお会い出来た時は是非CDを彼にもプレゼントしたいなと思います。また色々と繋がって嬉しいです。

ワクワクして参りました。来月の自分の演奏するミロンガも楽しみであります。

今日はパレルモにあるVelma CafeでTango Locoっていうエレキギターとドラムとかにバンドネオンが入っているかわった編成のバンドに行きます。ビートルズとかも演奏してるアレです。ゲストは日本人タンゴ歌手の冴木杏奈さんだそうで。一度も聴いたことがないのでこれを機に聴いてきます。

初舞台 2009年08月07日

Salon Canningサロン・カニングで初舞台でございました。

お客もたくさん入った(100~150くらい?)状態でのステージに若干緊張もありましたが、かなり気持ちのよいステージを踏めたと思います。聴衆の反応もかなりよく、終わってから色んな人たちに声をかけてもらいました。

Para Vosという僕の先生であるカルロス・パソの曲で踊ってくれたTango Funさん夫妻にも感謝!


※映像はイデアルでのものです

しかもこの日はカルロス・パソも聞きにきてくれてなお感激。彼もめっちゃ喜んでくれました。今度お家に遊びにいく予定です。ちょっと時間がないので詳細は後日。。。0807-01.jpg

しかも演奏中の写真を僕が持っていないので今送ってもらうのを待ってます(笑)出演者4人で取った写真は僕が終演後に飲んだシャンパンでかなり酔っていたためお見せできそうにありません(笑)なのでみんなやメインのマエストロ・ポデスタと撮った写真を載せます。
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なんで僕たちの写真を使わず国旗なんだよー 2009年08月09日

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今日はイデアルでの演奏ですよ!チラシも作ってくれているので載せておきます。なんで僕たちの写真を使わず国旗なんだよーとか思いましたけど(笑

これから肉を食べて元気つけて行ってきます!!!

0809-03.jpgそうそう、先日カニングで演奏した際にウンベルト・リドルフィHumberto Ridolfi というフォーエバータンゴや以前はバレ・タンゴで弾いていたヴァイオリニスタが偶然聞きにきていて、向こうから声をかけてくれたのですよ。

彼は僕たちの演奏をとても気に入ってくれたようで次の日にあったプエルト・マデーロという横浜とか神戸を思わせる地域にある『マデーロ・タンゴMadero Tango』というタンゲリアに招待してくれました。今の時期はリドルフィのグループが生演奏で入っているとのこと。

演奏はもちろんなのですが、クラウディア・パノネという歌手を初めてきけたのがよかったです。彼女の伸びのある豊かな歌声がよかったです。大御所のラウル・ラビエも出ておりよかったのですが、ちょっとショーマンシップがありすぎて滑稽だったかも。。。一般的な外国人相手にはこれでいいのかもしれませんがねー。

で終わってからリドルフィと話してそして写真もパシャリ。きさくないい人でした。
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Idealもばっちり盛会に! 2009年08月10日

今日は歴史ある場所Confiteria Ideal での演奏ということで、また前回とは違った緊張感と共に会場入り。

先週下見に行ったときはお客の入りが悪かったので大丈夫かな?と思っていましたが、会場を見てみると満員御礼。やる気でまくりですよ。

今回はピアソラも少し入れていいとのことで

では、と大体皆さん1曲目は聞いているのでパンチの聞いたMichelangelo70でスタート。

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0810-01.jpgあとで聞いた話、これがかなり好評だったようでその後ぞろぞろたくさんの人が踊ってくれました。2曲目からはトラディショナル中心で弾いていましたが最後のほうでまたTango Funさん夫妻のダンスデモ。今回はOtraも含めて2曲踊られました。

前回こちらの演奏でちょっとうまく行かなかったところがありましたが今回は大丈夫だったのでそれも満足。この日は計15曲演奏でした。最後はAdios Noninoで〆。

後の感想でオブリビオンが特によかったとお褒めのお言葉が。バラードの演奏をこっちの人にほめてもらえるのは嬉しいですね。あとは17日、22日と2回本番があるのでそれもいいライブにしたいですね。

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ダニエル・ビネリ氏が遊びにきました。 2009年08月11日

明日はサロンカニングでダリエンソ・スタイルで演奏しているなかなかのビエホバンド、「ロス・レイジェス・デル・タンゴ」のライブがあるのですがそれの前座でまた私たち弾くことに。

今回はほんと今日決まったので出番は少なめですが6曲ほど弾く予定です。

今日はコロールタンゴのリーダーのロベルト・アルバレスにレッスンをたっぷり受けてきたのでそれの成果も出せればと思います。

しかも今日はレッスンを受けていたところ、マエストロ・バンドネオニスタのダニエル・ビネリ氏が遊びにきました。彼はピアソラとも一緒にやっていたことがありますし、数年前に自分のバンドで日本にも来ていましたね。

彼らは同じイベントで今週末にコンサートをするのでもちろん見に行くつもりです。

タンゴフェスティバルに出演!!!! 2009年08月25日

色々と偶然が重なって出演してきました!!!

メンバーはこっちに一緒にきているピアノの大長志野さんにダンスの世界選手権のためにブエノスに来ているチヅコ・ディエゴペアと。

0825-02.jpgこちらブエノスアイレスではタンゴフェスティバルの期間中、Harrozハロッズというイベントスペースで色んなショップが出店していたり、ダンスのワークショップやら映画の上映も毎日やっているのですが、奥にメインステージが一つあるのですよ。

で普段はこちらのマエストロや若手のバンドやらエレクトリック・タンゴのグループとかが日夜ライブをしているのですが、そこの日曜の昼間のメインステージに出てしまいました。

アンコール含めて15曲、約1時間のステージをしてきました。拙かったとは思いますが、MCも全部スペイン語でしましたよ。これもいい経験になりました。次の機会があったらもっとうまく話せるようにしたい!!!!
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現地に住んでいる日本人の女性3人組もこられていて、「スペイン語で全部MCしていたのがほんと嬉しかったし、大事なこと。私は全部わかったよ、あなたのいいたかったこと。これからも頑張ってね。そしてまたブエノスに弾きにきて。必ず聞きにいくから。」といわれすごく僕のテンションもUPでございました。

もちろん他のお客様の反応もとてもよく、後半の曲になればなるほど、拍手やブラボーのトーンもがんがんこっちに響いてきてすごく嬉しかったです。そしてめっちゃ気持ちよかったです。
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終わってから楽屋を出たらびっくりするほど出待ちの人に囲まれてサインやら写真やら色んな感想やら。会場内を歩いていてもよく声をかけられて、より実感がわいてきたというか。

一日経ってもまだ興奮している自分がいるので文章がめちゃめちゃではありますが、いい一日になりました。

あと日記には書いていませんが、ここに至るまでに先週の月曜日にカテドラルというミロンガで、土曜日にサボール・ア・タンゴというタンゲリアを使ったミロンガで、それぞれ弾いてきました。

で、もう一つ最後に嬉しいことがあったのですが、こっちに来てからお世話になっているダンサーのダニエル・ノクッチオ。今回のタンゴフェスティバルに出演できたのには彼のおかげというのがかなり大きいのです。で先週の金曜に彼のデモンストレーションを見にサロン・カニングのミロンガに行った時に、ダニエルが

「今日はなんかサプライズなことがあるらしいよ~」

と言っていて、へーーとか普通に言ってたんです。でデモが始まりまして2曲タンゴを踊って、それもとても素晴らしかったのですが、ラストの3曲目。

MCの人が「###$$%”’(&%(聞き取れず)・・・・
シルエタ・ポルテーニャ $#%”# ディベルシオン #$%&%$」

って言ってたんですよ。

僕も「へ?あれ?今ディベルシオンとか言ってなかった?」って聞き返したぐらい。でデモスタートしたら、、、、、このシルエタポルテーニャ、僕のCDのやつじゃなああああああい

めちゃ嬉しかったです。しかも終わってから僕まで紹介されてるし。ダニエルありがとう!!!

そんなこんなで、こちらでもまた色々といい経験ができ、今回は日本を出る前には一つも決まっていなかったライブ達ではございますが、たくさんできて嬉しいです。

あと2週間ほどまだ残っていますが、とりあえずやることはやったかなと。後はタンゴ選手権で日本勢を存分に応援して、コンサート行って、ミロンガ行って、ワイン飲んで肉食べて日本に帰ろうと思います。

むふふ

タンゴダンス世界選手権サロン部門決勝の速報! 2009年08月30日

うおおおおおおおおおお!!!!!!!!

タンゴダンス世界選手権のサロン部門のチャンピオンを

なんと!!!!!!

我らが日本のHiroshi y Kyoko のカップルが取ってしまいました!!!!
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なかなか外国人ではとれないサロンのチャンピオン!

それを日本が取ったということで会場騒然ですよ!

応援しにきていた日本人のみなさんも大喜び。

お披露目のダンスも感動的でした。。。。

ますますの飛躍をお祈りしております。

そして!アルゼンチン人のロベルトと組んでいる日本勢のLamさんは
5位に!こちらも素晴らしい。。。

決勝は4グループで計43組踊るのですが、最後のグループに日本人と日本人と外国人のカップルが6組もいました。最後のグループになるまでちょこちょこしか日本人が出てこなかったので最後のグループは日本人祭りでしたよ~~~

また、決勝の舞台で素晴らしい踊りを見せてくれた他の方々もお疲れさまでした。

ちなみに!

明後日はステージ部門の決勝日です。

こちらにはステージで一緒に共演したディエゴ&チヅコペアとクリスティアン&ナオペアが決勝に残っています。

ディエゴ&チヅコペアとは一緒に共演したことも相まって、より頑張ってもらいたいです。

久々の日記がこんな感じになってしまいましたが僕も元気にやっております。

ただちょっと前にひいた風邪のせいでちょっと声がおかしくなってしまいました。なかなかのガラガラ声でございます。。。うーむ。

帰るまでに治ればいいのですが。。。

さてブエノスの滞在期間も残すところ2週間をすでにきりました。

今回の滞在は技術的にというよりは、より精神的に色んないいものを得れた旅になったと思います。

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サムシングニュー探しの旅 【ブエノス カオス日記 1】 ~ コラソン デ メロン

香港から地球の反対側、南米大陸に向けて、サムシングニュー探しの旅に出ることを決意した
コラソン デ メロンさんの日記より

彼女のブログ『レシピのほそ道 』http://recipenohosomichi.blog94.fc2.com/

南半球から 2008年11月05日

昨朝、無事、パリのシャルルドゴールから、ブエノスアイレスについた。

落ち着き先のアパートはセントロから徒歩の距離で、十分に清掃も行きとどいており、なんだかもう、ずいぶん前から住んでいるような気がする。町並みに溶け込むのも、ほんの数時間。ほとんどのことが昨日の数時間でセットされてしまった。

ここまでくることでいろいろとご援助いただいた人々に、またしても感謝の気持ちをもって、新しい時間をスタートすることができることが、うれしい。

あれほど遠いところと思っていたのに、ついてみればまるで隣町に引っ越してきたような感じだ。しばらくはここが拠点になる。滞在がどれだけになるかは、まだ確定していない。ゆっくりと先々のことを考えるか、あるいは、何も考えずに過ごそうと思っている。おいおい、ブログと日記で日々を記録していくことにする。

今日は日中気温、30度近くまであがりそうな様子だ。
なんだか、東南アジアにもどってきたような、、、。

ハカランダとビーフステーキ 2008年11月14日

午前8時、表通りがにわかに騒がしくなる。走行車の騒音と人の話し声とが入り混じり、閉じられたブルーのカーテンの向こう側から、容赦なく寝室に入り込んでくる。

前の晩、8時近くまで巷を照らしていた太陽は、もう既に昇っている。ラテンの国の太陽は、ラテンの国の人々と同じく、眠るのを恐れるかのように照らし続ける。雨雲がそれを遮ろうとしても、それを拒むがごとく、連日のように頭上から強い日差しを送りつけ、その生存を誇示する。人々も周知のこととして、うまくその日差しをかわし、日陰を縫うように歩いていく。

夜11時近くまでタンゴ場にいて、0時近くなって結局、マルベック(アルゼンチン特産の赤ワイン)の誘惑に負け、レストランに入った。閉まっていれば、万事支障なく、やすらかに眠りにつけたはずだったが。

下町サンテルモ界隈では誰もが知っている『不公平』という名のそのレストランは、0時近いにも関わらず、テーブルはほぼ満席だった。牛の小袋をグリルしたものをつまみに、その家の赤ワインをすする。ワインは、慣れないタンゴ場での興奮と肉体疲労を癒すように、のど元を過ぎ、胃の腑にわたり、そして、骨の髄まで沁みていく。

菜食傾向の私でも、知らず知らず200-300gを平らげてしまうほど、美味しい。

ワインの後押しで、さらにフィレステークを注文する。ここのフィレステークは、菜食傾向の私でも、知らず知らず200-300gを平らげてしまうほど、美味しい。軽く塩と胡椒がふられた薄味の肉塊は、ミデイアムに焼けて、血の混じった肉汁をしたたらせ、何の飾りもないただ白い皿の真ん中に鎮座している。別途注文しない限り、付け合わせの野菜などは、いっさいない。ステークの固まりそれだけが、しっかりと食べる人の欲求を凝視し、掴んで離さない。それを、できるだけ肉汁を絞り出さないように、適度な圧力でナイフを動かし、余り大きすぎない固まりに切り分け、口に運ぶ。一噛み、二噛みすると、その肉汁は口中に広がり、夜中の肉食がどれほど体に負担がかかろうとも、そんなことはすべて忘れさせてくれる。

一人でも決してさびしくなどない。逆に無駄なおしゃべりは無用だ。一人しっかり肉を噛み締めていると、体の中に再びエネルギーが蓄積されるような気がする。

そんなにして時間は午前1時をまわってしまった。すっかり寝静まった暗い通りを、足早にアパートに帰り、なかば無意識のうちにひと風呂浴びる。その後のことは覚えていない。今朝、表の騒音に目を覚まされるまで、眠りの粉を全身に振りかけられたように、ぐっすりと眠った。

古い色付き写真のような、そんな景色

この季節、ハカランダ(ローズウッド)の花は、ブエノスアイレスの街のそこここに、ほぼ無造作に咲いている。前世紀からほったらかしにされ、古ぼけてすすけた街並みが、この薄紫色によって独特の情緒をかもしだしている。その薄紫はまた、ブエノスの淡い空色ともうまく解け合い、街全体を現代の色合いから引き離し、一昔前の``良き時代``に連れ戻してくれるかのようだ。

まるで、古い色付き写真のような、そんな景色の中に今、私はいる。

バスに乗れない 2008年11月15日

朝方、まだ陽の出る前に、一雨来たようだ。

おかげで、今朝はひんやりとした冷気が窓から入って来る。タンクトップ一枚では、ちょっと肌寒い感じだ。と言っている間に、いつもの日差しが窓のカーテンの向こう側から、ジワジワと迫り始めた。

明日は、ブエノスの知人、友人をまねいて、6-7人での小さなサパーパーテイを開こうと思っている。そう思い立って、先週末だったか、日本食に使用する調味料などを買い出しに、中華街に出向いた。

ミツカン寿司酢300ml瓶が1500円、
カップ大関が二本で1200円、
干しひじきが150gが700円、

などなど、あっという間に10000円が消えた。ほんの、調味料の一部を購入しただけなのに。

東亜という、ブエノスでは最も大きいとされる、オリエンタルの食材を売るスーパーでのことだ。表示価格を一応チェックしたつもりなのに、予算オーバーした原因を考えてみた。どうやら、棚に表示されている価格表示と、商品についているバーコードとが一致していないことが原因のようだ。つまり、システムがシステムとして機能していない、ということである。このことは、この街全体について言えることでもある。

この一番良い例が、公共の乗り物である。鉄道を利用しようとしたら、その駅には自動販売機しかない。窓口はあるのだろうが、見当たらない。(あっても閉まっていて、人がいなかったりもする。)その自動販売機はコインしか受け付けない。その交通がアパートにもどるのに一番の近道のはずなのだが、コインがないために利用できない。

ここではコインを得ることは簡単ではない。

次にバスにしようと思い、バスの路線をチェックし、バスのターミナルまで行った。バス料金は市内どこでも0,9ペソである。約30円(今は円が高いため)。手持ちに2ペソ札があったので、おつりはいらないから運転手にこれで乗れるかと聞いたら、そっけない「ノー」が、返ってきた。バスもコインしか受け付けないのである。

ここではコインを得ることは簡単ではない。銀行の長い列に加わって、小銭札をコインに変えるなどは、とうていする気にならない。そうしたところで、果たして、コインがあるかどうかもわからない。コインの流通そのものが、需要に見合っていないのである。

結局、近くのピザ屋でテイクアウトのフガゼッタという、タマネギとチーズだけのシンプルなビザ(これが最近、私の好物になっている)を買い、何とか1ペソ硬貨を手に入れ、家路についた。その間、およそ1時間近くが東亜での支払と同様、予定外の消費となった。ここでは万事がそのように運ばれていく。結局、期待していたものの半分しか手に入らず、献立は練り直しとなった。できれば地元の市場や、最寄りのスーパーで、残りの食材は手配しようと思っている。

東亜は、私のアパートからは、ちょっと遠い。コインがなくても乗れる地下鉄(窓口でパスカードが買える)は、荷物をもって歩くには、アパートからも東亜からも、その最寄りの駅まで距離がある。タクシーを使って食材を買いに行く気分にも、なれない。

そう考えると、入手できないのは、豆腐だけとなった。他はなんとか代用が利きそうである。そのうち、スペインに住む友人達のように、豆腐、納豆は、手作りするようになるかも知れない。

ついでに、ブエノスでの家計簿を、ごくごく簡単に記入しておく。

家賃、3ヶ月 usd 3500.
当初、一ヶ月usd 1700のオファーが家主から来た。

私は各国の家賃相場を考えるとき、まず、香港の家賃をベースとする。周知の如く、香港の家賃は高い。東京以上とも言える。が、それなりの設備にはなっている。

香港でも、usd1700だせば、場所にもよるが、50平米くらいのアパートは借りることができる。どう考えても、ブエノスが香港以上であるはずはないだろう、あるとすれば、アパートはかなりリッチに違いない、リッチは今の私には贅沢である。清潔で、治安が守られれば、多少狭くともそれで十分と思い、usd 1000/月未満でネゴを入れ、光、熱、水、インターネット、プラス週一のメイド込みの条件で、上記の金額で一件落着した。

ブエノス(アルゼンチン全体がそうなのだろうが、まだ他の地区はみていないので)の経済は、全くのカオスである。長年、香港のカオスの中に過ごし、更に中国でひとしお大きな波をかぶりして、カオスには慣れているはずと思っていたが、ここに来て本当のカオスをみたように思う。このことはまた、ゆっくりと書いてみたいと思っているが。

カオスというものは、どうやら、知らず知らずに人をそこにはめ込み、そして飲み込んでいくもののようである。

恋人たちの街 2008年11月22日

どうにか市バスに乗り馴れてきた。慣れると、これがなかなか便利である。ブエノスアイレス市内の交通機関は、バスの他に鉄道と地下鉄がある。が、どちらも市内を十分に網羅しているとは言えない。

最寄りの地下鉄の駅といっても、目的地までは駅から10分、15分歩くのは普通。しかも、地下鉄などは、午後10時~10時半でもう、終電である。真夜中の0時過ぎてもレストランの灯りは煌々とともり、ミロンガなどは連日、明け方までやっているほどの夜の街にして、である。

鉄道、地下鉄とも政府が運営する公的機関であるが、市民へのサービス概念などは、恐らく、全く、持ち合わせていないようである。それをカバーしているのが、バスとタクシー。タクシーは初乗りが150円程度で、他の物価に比較するととても安い。利用価値は十分あるのだが、今のところはまず、市内バスを乗りこなすことを、当面の目標としている。タクシーを乗り回すほど、裕福な状況にいるわけではないのだからして。

そこへいくとバスはブロックごとにバスストップがあり、路線番号と降りる場所さえわかっていれば、目的地の目の前まで運んでくれることも多い。バスは私営。そして24時間走っている。料金は、市内どこでも均一の0.90 ペソ (約30-35円)。前の日記にも書いた通り、問題はコインがないと乗れない点。バスに乗るために、せっせとコインを貯めまくっている。

例えば、ピザテリア(ピザがメインの簡易レストラン)で、軽い食事をし、チップは1ペソでも良いのだが、おつりで1ペソコインを貰うと、2ペソ札と取り換えたりして、コインの収集にせいを出している。つまり、バスに乗るために、レストランなどで余分なチップをはずんでいるというわけである。そうまでしてコインを貯めている話しを、こちらでの生活をサポートしてくださっているKさんに話したら、彼もブエノス在住6年強、ずっと同じことをしている、とのことだった。

抱き合っているのは、人間の男女だけではない。

そうして苦労して集めたコインを使ってバスに乗り込むと、ついつい視線が行ってしまうのが、そこに乗り合わせた恋人同士である。

あるときは、独りがけの椅子に座った小柄な女性が、膝にのせた男性とキスを交わしていた。重くないのかなあ、後で足がしびれたりしないのかなあ、と、ついついいらん心配をしてしまった。

公共の場で、男女が愛をささやき交わす情景は、バスの中だけに限らない。地下鉄の中でも、まだ乗ったことはないが列車の中でも、恐らく同じだろう。街のそこここで見かける。交差点で信号が赤になると、青になるまで抱き合い、キスをしているカップルも普通にいる。信号が変わるのをどこで察知するのだろうか?ときどき、「青だよ」、と彼らの肩をたたいて教えてあげたりする親切な人に出会うこともある。

抱き合っているのは、人間の男女だけではない。歩道には、抱き合ってタンゴを踊る等身大の人形が、これもあちこちに立っている。

ここはキスと抱擁の街、つまり恋人同士の街とも言えそうだ。中学生ぐらいから、60代くらいまで。カップル間の年齢差も様々。さすが70代以上は、余りみかけない。分別というやつがその衝動を押さえているのか、既に、そうした衝動とは疎遠になってしまっているのか、、、、、。

互いに体にふれあうことで、その感触を楽しみつつ、絶えず互いの存在を確かめ合っているようにも見える。そうしていないと、相手をすぐさま見失いでもするかのように。なぜそうしていつも、時、場所を問わず、そのように互いの体に触れ合い続けようとするのか?

ここではまた、恋人同士の寿命も、随分と短いようである。`元カレ、元カノ`と紹介されたことも一度や二度ではない。このことは、今はもう恋人同士ではないが、別のかたちで交流は続いているということを示している。男女が互いに興味を持ち、そののち親密になるまでの時間も早いようだ。愛し合い、解け合い、その凝縮した時間が過ぎるとまた、新たな魅力を探しに出かける、、、ということのようである。ようやく巡りあった相手との愛を、大切に育てていくという姿勢は、このラテンの太陽の下では似合わないのかも知れない。この世に生まれてきたからには、多くの魅力に出会い、愛し、交わり、それが、生きていることの素晴らしさにつながるの、と彼らはいいたげでもある。

さてと、じゃあ、
私はどうしようか、、、、、。

鍵 2008年12月06日

気になることはその都度片付けていく、というスタイルでこれまで来たが、ブエノスに来てから、というか、身近にいる人の影響か、恐らくその両方であろうが、知らず知らずに面倒なことは先延ばしにするようになった。そうしたら案の定、トラブルがおきた。

ブエノスで面倒なことの一つに “鍵” がある。

香港でも、中国でもセキュリテイが日本に比べると厳しく、アパートの玄関のドアは2重になっていたり、更に建物の入り口のドアにもカードキーが必要だったりと、鍵の多い生活にはそれなりに慣れていたつもりだったが、ここブエノスはその更に上を行く。つまりは、それだけ治安がよろしくないというか、自分のことは自分で守れという考え方のせいか、これもその両方であろうが、現在、私は全部で7つの鍵を所持している。

どの鍵をどこに使うか、を考えるだけでも、最初にそれらを手渡されたときは「面倒な」、と思ったものだ。

内訳はというと、

  1. 建物の入り口の鍵
  2. エレベーター、あるいは階段を上がったところで、その踊り場からフラットへ続く廊下の入り口のドアの鍵
  3. 私のフラットは廊下の突き当たりなのだが、そのフラットに入る手前にもう一つ、1.5mほどの高さのフェンスドアがあり、そのドアの鍵。実際のところ、このドアは治安上はなくても良い。
  4. 最後に部屋の鍵
  5. 部屋にはバルコニーがついている。バルコニーに出るためのガラス戸には、二つの鍵がついている。毎朝、植物に水をやるとき、この二つの鍵を開ける。
  6. ベッドルームの窓がバルコニーに面しており、そのため外部からの侵入を考慮してか、その窓にやはり、鍵がついている。

長時間の外出時には、それら全ての鍵をかけ、そして、窓のシャッターも閉めて、出かけなければならない。

先ほどのトラブルは、上記 3. の鍵から起きた。この鍵は以前から調子が悪かった。その他の鍵も、慣れないとなかなかスムースに開かない。オーナーもそのことを知っている。これまでは、トラブルはいずれも最終的には解決し、つまり、ドアは開けることができたので、のど元過ぎれば熱さ忘れる、の例え通り、修理はまた今度、と先延ばしされていた。

今日はとうとう、お手上げの状態になった。15分ほど、あれこれと操作してみたが、開かない。何を隠そう、私は鍵を開けるのが特技の一つでもある。この特技を使って、他の方面で生きることもできたかも知れない。しかし、今回はギブアップするしかなかった。こねくり回しているうちに、更に深みにはまったようで、鍵は、右へも左へも動かなくなってしまった。これらの鍵は全て、とても古風で、香港(中国ですら)ではついぞ、みかけないような黄色い真鍮の鍵である。

しかも重たい。建物の古さに合わせているのかも知れないが、鍵くらいは新しいものに変えたらどうなのかと思う。いくつもの鍵を操ることを考えたら、最新のものをきちんと取り付けた方がよほどセキュリテイに繋がると思うのだが。

オーナーの助言で、鍵屋に行って、そこに助けを求めることになった。幸い、オーナーと知り合いのその鍵屋のスタッフがアパートまで同行してくれることになり、その女性が1.5mのそのフェンスドアーを乗り越え、内側からロックを外してくれた。

開くにはあいたが、今度は、ロックがかからなくなってしまった。明日早々に、錠前そのものを取り替えることになった。

「タンゴ身体作り」

1.5mのドアを乗り越えていく鍵屋のスタッフを見て、ふと思った。どうして自分でやらなかったのだろう。1. 5mくらい、たいしたことない。ほんの数年前だったら、迷わず自分で乗り越えていたと思う。

やらなかった理由はというと、両の腕で自分の体を多少なりとも持ち上げることに、自信がなかったからである。そのことを、つい1週間ほど前に如実に知らされたばかりだった。

タンゴの基礎練習にと、「タンゴ身体作り」のクラスを2度ほどとった。一つは、腹筋を中心とした床運動が30-40分続き、その後に内股の筋肉と下腹の筋肉を使ってのウオーキングなどなど。トータル90分。休みなしもう一つは、スクワットが中心。太ももの筋トレとジャンプとストレッチを交互に繰り返すという、ハードなものだった。どちらも3日間ほど筋肉痛(これはこれで気持ちがよかったが)が続き、階段の下りに時間がかかったりしていた。そのクラスに参加して、腕立てふせがめっきりできなくなっていることを知り、驚いた。筋力がいかに落ちたかを知って、めげていたのだ。

こういう事態に備え、筋力、体力は、日頃から養っておかなければならないそうでなければ行きたいところに行けないではないか、と改めて反省した。(言うそばから、今日のトレーニングはさぼってしまった。)

タンゴの教師たちには、二言目には言われている。

自分の体は、自分で支えよ。相手と支え合うには、まず、自分自身を確立させなければ、共倒れになる、と。

そんなことを、ドアによじ上る女性のローライズのデニムの下からのぞく、黒のTバックのパンテイを眺めながら考えていた。

鍵の話は、まだ続く。

このように多くの鍵の中に生活しているのだが、これとは反対に、レストランやバー、小さな劇場など、タンゴスクールにしてもしかり、人の集まるところの女性用のトイレには、なぜか鍵がない。私の知る範囲では、レストランやバーなどは、鍵のついていないトイレの方が多い。

最初は不安だった。もう、慣れた。ドアがしっかりしまらない場合は、足でドアが開かないようにしながら、用を足している。足が届かない場合は、仕方がない。誰もあけないようにと祈りながら、用を足している。

なぜあるべきところに鍵はないのか。理由がわからない。小用はいいが、大の方はこの状態では、外ではたせない。まことに、不便である。誰かに尋ねようと思っているが、ついつい尋ね忘れている。理由がわかったら、後にまた書き込むようにしよう。

鍵一つとっても、ブエノスは、わからないことが多い街である。

我が師 2008年12月08日

人生の喜び、楽しみに、人との出会いがある。
そして、出会った人々がそれぞれ、私の師になる。

ブエノスアイレスといえば、タンゴ。

当然のことながら、ここでは、週に5、6日、ほんの2、3時間でも、タンゴシューズを履くようにしている。進歩の度合いはというと、これが皆目ダメである。多少はあるのかも知れないが、自分では全くわからない。

だから、ミロンガには、ほとんど行っていない。ミロンガで、ダンス相手を夜な夜な探す前に、まずは、練習、練習、といった状態にいる。

今日は、現在、私が指示している師匠 Augusto Balizano(アウグスト バリザーノ)の演技(ダンス)を紹介する。

マイブログ『レシピのほそ道 』 でおなじみの、メロンに随行しているソラ氏は、このアウグストという師匠にぞっこんである。

自分からは、なかなか進んでタンゴレッスンにいかないソラ氏だが、アウグストのレッスンだけは、一人でいそいそと出かけて行く。そして、今日もいなかったと、肩を落としてしょんぼり帰ってくるのである。教師として以上に、その人柄に惹かれているという。

メロンだけなく、ソラ氏にも、ブエノスに来て、どうやら新しい出会いが始まったようである。

というわけで、皆様、どうぞ、ごゆっくりとご堪能ください。因みに、メロンの師匠のアウグストは、背の高い方です。小柄な方はパートナーのMiguel Moyano。タンゴに興味のない方でも、十分お楽しみ頂けるパフォーマンスです。

続いて、もう一つ。

黄昏と情熱 2008年12月21日

ブエノスアイレスは、夜明けと日暮れ時が、ことのほか、美しい。昼間との対比が、そうさせるのかも知れない。

午前6時を廻る頃、巷(ちまた)の灯りの反射によって、浮かぶ雲のかたちさえ見とどめられる、淡い群青色の夜空は、控えめに、少しずつ陽の光と解け合いながら明るさを増していく。途中、淡い赤紫色の十数分があり、それはただうっとりと、見とれるほど美しい。

もっとゆっくりでいいのに、と願う気持ちをよそに、30分もすると、すっかりスカイブルーの夏空に、変わる。夜風の名残ごりが、涼しく身体をなでていく。数時間後に訪れる、日中の暑さを予告しながら。

突然、目の前には、前の晩に路上にまき散らされたゴミが、埃っぽい街並みとともに、蜃気楼のように広がる。ため息をつくのは止めにして、街とともに清掃車が来るのを待つ。そして、その夜明けのほんの30分くらいの静粛の中に、今日もこの街で生きる、という、心構えをつくる。

日暮れはちょうど、その反対のようなかたちで訪れる。散らかし放題散らかされた街を、片付ける気力も、体力も、もうない。ただひたすら、黄昏(たそがれ)が、街路の隅に固まるゴミの山を、覆い隠してくれるのを待つ。1世紀前の古い建物の薄汚れた壁の、シミやひび割れが、夜の闇に溶かされるのを待つ。それらは、夜の帳によって1世紀前に立ち戻り、街灯の灯りによってほんのりと薄化粧を施され、ロマンチックに生き返る。


そんな頃、歩道に並べられたBARの椅子に腰をかけ、一杯7ペソ(200円強)のマルベック(赤ワイン)をすすりながら、足早に家路につく勤め帰りの人々や、これから食事にでかける、はしゃぎ顔の若い家族や、待ち望んでいた自分たちの時間がやっと来たとばかりに、街角で見つめ合うカップルを、見るとはなしに眺める。


夕焼けが濃い日などは、あたりの空気までが、オレンジ色から夜の青に流れるように変化する。その様は、とても言葉では表せない。ただその中にいて、その色彩に包まれているだけで、その日、そこに生きたことを、誇らしく思う。

宵闇は、午後の9時ぐらいになって、ようやく街を覆い始める。東洋に暮らしていたら、想像しがたい遅い陽の暮れである。今はちょうど、日本の夏至のころにあたるのだろうか。なおさらに、夜は縮まっている。

このところ、停電が何度かあった。中心部だけでも300万人を越える大都市で、“何度かあった”、というだけでも信じがたいが、復旧に一時間以上かかることもザラという状況は、住民の忍耐強さに感心する以上に、不思議に思ってしまう。香港ではありえない。
中国でも大都市部では、もう、許されなくなっている。都市は、コンピュータによって機能しているからだ。

ちょうど一昨日、そんな停電が、私が通うタンゴスクールのグループレッスンのときに起きた。

ちょうどクラスが始まろうとしたとき、突然、天井に設置されている扇風機とクーラーが止まった。そして、音が消えた。その日は、既に気温は30度を越えていた。スタジオは、50平米以上はあると思うが、20人の生徒が踊りだせば、熱気が上昇し、クーラー、あるいは扇風機だけでもないと、かなりの暑さになる。

タンゴは、ホールドを組んで踊るから、見ず知らずの人と、汗まみれの身体を寄せ合うのは、慣れないと負担でもある。男性たちのシャツやTシャツは、既に汗に濡れている。女性達は、ほとんどがキャミソール型のタンクトップだから、かろうじて背中から汗を放出できている。が、胸元は汗で光り、二の腕はしっとりと濡れている。どちらも額から汗を滴らせている。

準備運動が終わりかけたころ、レセプションの女性によって、再びCDプレーヤーが運び込まれた。タンゴは音楽がないと踊れない。タンゴでもっとも重要なのは、音楽である。

乾電池の操作で音楽が再開されたとたん、生徒達の間で拍手がおこった。汗でびっしょりと濡れたカッターシャツや、Tシャツの男たちに抱かれて、その後一時間強、レッスンはいつものように続いた。互いの汗も気にならず、暑さも忘れ、熱のこもったレッスンだった。

“情熱”。

タンゴを教えるには、情熱が必要だと、スペイン語の教師が私に言ったことがある。私は、情熱は何かを教えること、それ自体に要求されるもので、タンゴに限られることではないのでは、と、少しばかり反論をした。いや、タンゴはもっと、要求される。タンゴは情熱がなければ踊れない。教える事にも勿論、情熱は要る。つまり、情熱はダブルに必要、というわけ。そう、その教師はつけ足した。

私が現業をリタイアした一番大きな理由は、自分の仕事に対しての情熱を失った、と感じたからだ。仕事の内には、後に続く人に対しての指導ということも含まれる。その割合は、むしろ、大きい。振り返ってみると、20年間以上、同じようなことを言い続けてきた。20年間というのは、今の世の流れからすると、長い。特に我々のような職種では、その変化も小さくない。私が説いてきた内容は、私の世代だからこそ生きたもので、これからの世代に必ずしも有効とはいえないのではないか、そんな、疑問を持つようになった。同じ事を繰り返し説いて行くのは、情熱がなくてはできない。価値観の変化は常におこるが、その中にも引き続き語られていくベーシックなことがらは、やはり、常に存在するはずだ。そのことを信念として持ち、情熱がそれを支えるという状態をつくらないと他人に何かを伝えるのは、難しい。自分のしていることが果たして、価値観の変動に即しているのか、という疑問が、結局は、情熱を蝕むことになった。それと、単に、疲れもあったかも知れない。

ビルマとフェルナンドのクラスにいて、彼らが自然体で語るタンゴへの愛情と情熱を、とても新鮮なものとして感じる。

そう、私が今、もっとも欲しいもの。それは、“情熱”というものかも知れない。何に向かっての情熱でも良い。生きる事、それ自体に、情熱を持ち続けたいと思う。情熱を感じていたいと思う。

タンゴを通して、それを取り戻すことができるかも知れない。停電しても、乾電池で一時補填しながらも、もう一度、自分のうちから発電できるようになりたい。きっかけは、ほんの小さなことでも足りるのではないか。

黄昏は、もう少しあとでも良い。

例え散らかったゴミに囲まれようとも、もうしばらく、陽の光の下で、現実をみてみたい。

おまけ:ビルマとフェルナンドの映像

このカップルは、私の知る範囲、教師としては恐らく、ブエノスでも有数の高いレベルだと思う。特にベーシックを習うにはとても良い。タンゴカップルには珍しいほど、10年以上の長い間ペアーを組んでいる。因みに、女性教師のビルマは3児の母でもある。)


これはアクセスが多いので、画面が途中で中断して見にくい場合は、

ついでに、もう一つ。

ダブル休暇 2008年12月31日

何と!
今日はもう、12月30日ではないか。
(日本は既に31日でしょう。)
それも間もなく終わろうとしている。
ここブエノスには、まるっきりと言ってよいほど、年末のムードはない。
学校が夏休みに入ったため、若干、車の量が減っているようには思えるが、
他は、普段と変わった様子はない。

ここ数日の、記録しておきたい事柄を日記に書き始めたが、
ゆっくりPCの前に座る間がなく、書き始めたところでまた、
繰り延べになってしまった。
ひとまず、昨日書き始めた日記を、単純に記録用としてアップしておくことにする。

12月29日

休暇中だというのに、重ねてまた、休暇を取ってしまった。

25、26、27、28日は、計画外のクリスマス休暇になった。
長期休暇とはいえ、月毎、或は週ごとに、スケジュールを手帳に書き込む癖が抜けず
週の初めには、その週の時間割がおおよそ決まっている。
一応、日曜日は予定なしの日にしているが、友人との会食などが入るなど、
ブエノスに来て2ヶ月近くなるが、家でゆっくりくつろいだ日は、
数えるほどしかない。
しかも、休暇中だからいつでも休める、という頭があるから、スケジュール
が詰まった日などは、食後の休憩なども十分に取らなかったりする。
加えて、毎晩午前0時を数時間廻ってから就寝というのは、
起床時間を遅らせても、なかなか上手く疲れが取れないような気がする。

そんなこんなで、今や恒例となりつつある我が家のサパーパーテイ
(こちらに来て、既に4回)を開いた25日をきっかけに、
手帳に書き込んだスケジュールは、全て反故にされ、
なし崩し的に4日間の休暇となった。

それはそれで日記に書き留めておきたいほど、楽しかった。
書き留めようとして、PCの前に座った。
ところが、これが、すんなりと直ぐに、思い出せないのである。
ほんの、数日前のことである。
どうやら“記憶”の方がしっかりと、かってに休暇を取っているようである。
しかもそれは、どうやら、恒久的ですらあるようだ。

ひとまず、思い出せる範囲のことを記しておく。

24日は、通常の時間割をこなす傍ら、翌25日のパーテイの買い出しで過ごした。
商店は通常通り営業、と聞いていたが、実際はかなり多くの商店が
休業のサインを出しており、車も人も、随分と少ない。
夕方、ワインの買い出しなどに出かけていたら、
あっという間に午後10時になってしまった。
翌日のパーテイ料理の仕込みをした後だったので、
家で食事する気になれない。
外食することに決め、いきつけのレストランを数件廻ったが、どこも休み。
なかばあきらめかけたところで、偶然、新しいレストランを見つけた。
そのレストランのある通りは、これまで何度も通っている。
それなのに、その店に気づかずにいた。
普段、周囲には結構目を配って歩いているつもりだが、
それでも新たな発見が、後を断たない。

翌日はパーテイだから、必然的に酒量が増える、
そう考えて、その夜は控えようと思っていたのだが、、、。
最初にチョイスしたワインが、今いち、口にあわなかった。
そのため、2本目を頼んだ。
とどのつまり、いつもより酒量が増えてしまった。

私はワインに関しては、かなり保守的である。
信頼できる人の勧めがない限り、新しいワインには手を出さない。
つまり、冒険をしない。挑戦もしない。
従って、好きな銘柄がワインリストにある限り、そればかり飲んでいる。
あるいは、その土地のワインに固執する。
が、ごくたまに、こうした気まぐれも起こす。
そして、失敗する。

12月に入ってからは、休肝日の方も、すっかり忘れられている。
酒飲みほど意思の弱い人種はいない。
喫煙家にまさるとも、劣らない。
最も休暇を必要としているのは、記憶力ではなくて、肝臓、腎臓である。

翌25日のパーテイは、いつもより早めの午後8時から始まった。
料理をいっしょに作ろうということになっていた友人、カリーナが、
夕方6時に早々と玄関のブザーをならした。
彼女はポルトガル人。
オランダ人の夫、アランと共に避寒のため、前日の24日にオランダからついたばかり。
3時間の時差は全く負担なしと、ブエノスの燦々と輝く真夏の太陽に迎えられて、
いたって上機嫌。
彼らはベジタリアンのため、自分たちの食事は自分たちで作ってもらうことにする。
私自身もかなりベジタリアン傾向だったのだが、ブエノスに来てからは、
この看板はひとまずしまっている。
その日のパーテイメンバー9人のうち、4人がヨーロッパからの避寒休暇組で、
カリーナカップルの他、もう一人、できればお肉は遠慮したい、
という女性が混じっていた。
ヨーロッパのインテリ層の自然食志向は、かなり浸透しているようである。

食卓には、アボガド、キューリ、タコ刺身、サーモンのこぶ締めなどを
具にした手巻き寿司、野菜の煮浸しの日本料理といっしょに、カリーナ
夫妻のつくった、野菜とフルーツのシチューなどのエスニック料理が並ぶ。
動物性蛋白を好む人たちのために、野菜をたっぷり入れた特大焼き餃子と、
牛モツの味噌煮込みを用意する。
4カ国の人間が集まってのパーテイだから、しかも、職業も法務関係、
エコロジー関係、心理学関係、その他と多義に渡るため、話題もどんどん広がる。
会話は、基本的には共通語の英語で終止するが、突然、スペイン語に
変わっていたりする。
多い人で6~7カ国語、大半が、3カ国以上の言語を話す。

食物の話も当然、その日の中心話題となった。
結果、次回のパーテイはそこに同席した3人の男性に台所をあずけ、
腕を振るってもらうということになった。
3人が3人とも、趣味が料理だったのである。
料理が趣味という男性も、自然食志向同様、昨今のトレンドのようである。

12月26日。
カリーナ夫妻といっしょに、ラプラタ河の川向こう、ウルグアイのコロニア(もとポルトガル領、現在、世界遺産)に、日帰りのショートトリップをした。
彼らの休暇の一番の目的は朝寝坊、ということだったので、
待ち合わせ時間は、午前10時45分。
懸念していた通り、11時半のフェリーは満席のため、チケットが取れず。
「もっと早くくれば良かったね。」などという野暮な会話は一切なし。
次のフェリーまでの3時間半の間をどう過ごそうかと、直ぐに前向きに話が進む。
フェリー乗り場から近い、川沿いのプロムナードに位置する、
アマリア L DE フォルタバのコンテンポラリーアート美術館に
行くことに、即座に決定。
(www.coleccionfortabat.org.ar)
この美術館が期待以上に素敵で、コレクションのセンスの良さもさることながら、
図らずも近代のアルゼンチン画家たちの作品に触れることができて、
その日の充実度を更に増す結果となった。
もう一度時間を作って、是非、訪れたいと思う。

コロニアは、ブエノスアイレスの喧噪とは両極にある、
17世紀の石畳を今に残す、静かで美しい街である。
街と言うより、村と言った方が良いほど、小さい。
午後の散策、夕日を見ながらのサパー、と久しぶりの観光気分を味わう。
詳しくはいずれまた、
ブログ『レシピのほそ道』
で掲載していく。

この日一日で、またまた日焼けしてしまった。
常用のレブロンのファンデーション、ナンバーN4を、
一段ダークのN5に変える羽目になる。
香港にいるときに使っていた色は、もう、使えない。
それを塗ると、稚児化粧のようになってしまう。

アパートに帰りついたのは、午後11時。
ほぼ一日中、陽に当たっていたことの疲れもあってか、
その夜はいつもに比べ、眠りも深かったようだ。

翌朝27日(土)、いつものように10時ごろに起床。
何となく気だるく、何もする気にならない。
にも関わらず、昼食はしっかりと用意する。
そして、またぞろワインを一本空けてしまったものだから、
ほろ酔い加減でベッドにもどり、昼寝。
気がついたら、夕方5時になっていた。
こんな日もあっていいさ、とそのままの勢いで、その夜の予定は全て、
あっさりとキャンセル。
タンゴの師匠たちの、今年最後のグランミロンガがあったが、
結局、それも行かずじまい。
仕事であればこうは行かない、と徹底的にだらりと過ごす。

次ぐ28日。
快い眠りから覚め、といいたいところだが、飲み過ぎで肝腎の方は、
あまり機嫌が良くない。
とはいえ、二日も続けて家に籠っていられるような天気ではない。
ひとまず、行き当たりばったりで、長距離バスにのって、近在の街に
出かけることにした。
ブエノスアイレスのスラム街を抜け、一時間強、ラプラタという、
これもまた、歴史ある街に行く。
日曜日のため、商店はほとんど閉まっており、
前々日のコロニアほどではないが、静かな街ブラを楽しむことができた。
帰りは乗り物を列車に換え、途中、ビールの産地として有名なキルメスに
途中下車し、名産のビールでのどを潤し、夕日を背にして、家路についた。

今年も残すところ、あと1日。
2000年以降、毎年、年越しをする土地が違う。
来年の年越しは、どこになるのだろうか。
そう考えるのもまた、楽しみである。

明日は、デルタという街にでかける。
ラプラタ河の川面をみながら、来年の計でも立てることにする。

今年も多くの人に助けられ、それらの人々への感謝の気持ちを抱えながら、
年を越すことができる。
幸せの青い鳥は、ひょっとすると、“ありがとう”という名前ではなかろうか。
“ありがとう”を言うたびに、幸せの青い鳥が、寄ってくるような気がする。

行かないで…. 2009年01月16日

「僕といっしょにいて。僕のそばにいて。僕から離れないで。」
「………」
「僕を抱いて…。もっと強く….。」
「……….」
「貴女は動かないで。そのままにしていて。
一人でいかないで。」
「……….」
「僕を感じて….もっと僕の身体を使って….
感じる?
そう、その感じ。いいよ。とてもいい。」
「………..」

フェルナンドは、その限られた時間に、幾度、同じ言葉を繰り返したか知れない。
私は黙って、うなずく余裕すらなく、その声に従った。

私の耳元には、この言葉が繰り返し、繰り返し、さざ波のように押し寄せ、
そしてこだまとなって耳の奥底に響き続けた。
凝縮した時間が終わったとき、私は、彼しか見えなくなっている自分を意識した。
そして、そのことに驚いた。
彼とは三度、そうして2人だけの時間を過ごした。
彼は、1月14日、ブラジルに発った。

アレハンドロは、私が緊張していることを察知すると、耳元でタンゴを唄ってくれた。
彼自身がとても気分がいいときも、やはり耳元でタンゴを唄ってくれた。
小柄で華奢な体つきなのに、私をすっぽりと包むように抱いた。
身体とは不釣り合いに大きく、長い指の美しい手は、いつも、
私の手をしっかりと握っていた。
汗一つかかず、色男の見本のように、クールに私を抱いた。
彼の胸に私の胸を合わせたとき、胸と胸が一つになるのを感じた。
この年になってようやく、本当の男の抱き方、抱かれ方を、知ったように思った。
彼も、1月11日、冬のヨーロッパへと旅立っていった。

日々、出会いと別れを繰り返している。
いずれ別れのときが来ることを知って、知り合う。
だから、いっしょに過ごす時間を大切にしよう、という気持ちが、
気がつくと、空気のように私を取り囲んでいる。

1月も1週間が過ぎた頃、街の人通りは目に見えて少なくなった。
週末ともなると、すれ違う人々は、ほとんどが観光客だ。
車の渋滞も減り、エンドレスに続きそうな道路工事も一段落、
30分かかった道のりが、10分で済むようになった。

ブエノスの人々は、借金をしてまでも、バカンスに出かけていく。
パン屋も、肉屋も、レストランですら『夏休み』の札を入り口に下げ、
2001年の経済破綻以降、ようやく力を取り戻してきた中流階級といっしょに、
海だ、山だと出かけて行く。

街中に残されるのは、それすらもできない貧しい人々と、
入れ替わりにやってくる観光客たち。
路上に寝起きする、乳飲み子も混じる家族も増え、
行き場と金をなくした浮浪者のごときバックパッカーの若者達が、
メザシのようにごろごろと、石畳の上に寝転がっている。
全てがそうして打ち捨てられたままのブエノスの街を、
真夏の太陽が容赦なく照りつける。
この状態は、2月に入っても続くという。

そうして、私の師たちも、旅立って行った。

上記は、本場のタンゴを私に見せてくれた2人の師との、
プライベートレッスンの際の会話と情景である。

フェルナンドのUチューブは既に紹介済みだが、
改めて、ニューバージョンを。↓

そして、ちょっびり、違うバージョン。
私の目標である。↓

アレハンドロは、2007年のミロンガのチャンピオン。
彼のタンゴを見て、ミロンガを習い始めた男達を、私は数多く知っている。一曲目は、最近のもの。
彼が発ったあと、一人残ったパートナーのシルバーナは、
このところ、とても寂しそうにしている。

おまけ。

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[特派員レポート 2008年11月] 上海探戈レポート - Loca Maman

[特派員レポート 2008年11月] 上海探戈レポート

中国・上海でDamian y NancyのWSとMilongaがあると聞いて、10月31日(金)~11月3日(月・文化の日)の連休に娘と行ってきた。
今、カニが美味しい季節だし、主役がタンゴかはちょっと微妙。

ちなみに今回のWSとMilonga、昨年行った台北タンゴフェスティバルの主催「台北探戈Taipei Tango」Daniel y Stacy (http://groups.msn.com)のリンク先から見つけた。

今回のは「探戈幇TangoBang」Vivian y Charlesが主催。
WSは10月29日(水)~11月2日(日)、カミナンドからコルガータ、ボルカーダまで9コマ。Weekdayは夜のみ、土日は昼間から。Milongaは最後の3日間、10月31日(金)、11月1日(土)、11月2日(日)毎晩。いずれも実際には21時~26時で、それぞれに趣向あり。事前にメールでサカーダ、ワルツ、コルガータとボルカーダの3コマ、そしてMilongaは3日連日で予約、そして会場そばのホテルの予約を依頼。

上海1日目 10月31日(金)

お昼過ぎ、上海入り。

リニアモーターカーと地下鉄を乗り継いで、上海の最新市街、浦東新区のホテルへ。ホテルは国内向けの全国展開のチェーンホテル「如家快捷Home Inn」。シャワーだけど、朝食は美味しいし、フロントは気持ちの良い対応だし。ただ、国内向けだったので、両替がない。保証金が宿泊代+α、つまり前払いと同じ。不便はその程度。

まずは川向こうの旧市街・南京路へ。
南京路は庶民の街、昔からの繁華街。デパートに入ったり、商店を覗きながら市民の気分。新旧様々なビルの並ぶ大通り、あちこちに見慣れた看板、スタバ、ハーゲンダッツ、マック・・・。変わって行くなぁ、中国。

夕食は屋台。市民に混じって、涼粉(くず餅みたいなもの)、小龍包、麻辣湯(具の選べるピリ辛スープ)。皆火を通したてだからまぁ安心か。

21時 Milongaへ。この日はチャイナドレスかハロウィンスタイル。60名程度の参加。
会場はCharlesの経営のタンゴバー「探戈幇TangoBang」。イートンホテルの低層部分の1、2階。1階がバー、2階がミロンガ会場(100㎡)、レッスン場(50㎡)と+αと恵まれているが、床はすぐ下がコンクリらしく硬い。2時過ぎまで踊る。ホテルは会場の斜向かい。ラクチン、ラクチン。

上海2日目 11月1日(土)

豫園へ。ここは昔からの市民の憩いの場。400年近く前の建物と庭園。見事。

お昼は「南翔酒家」の小龍包と決めていたが、長蛇の列。諦めて、市民がしているように買い食い。長い年月の中で淘汰され美味しいお店だけが残っているから、何処も美味しい。ついぎりぎりまで遊んでしまい、タクシーの運転手さんをせかせてホテルへ。

15時からのレッスンだったが、スタートが中国時間(押せ押せ)だったので、どうにか間に合う。
サカーダ。中国語ではもろ「置換」という、位置を置換すると説明していた。女性のいた位置に男性が入っていく、女性は男性の足が入って来ると同時に体重移動して、場所を空け、そこに男性が行く。

初めはヒーロ、ヒーロにサカーダを入れていく、次は回転角度を大きくして、さらに女性もサカーダ、そして最後がバックサカーダ・・・男性をして、サカーダ をかけようと入った時にはいつも女性がいなくなっていて困った。もうちょっと待ってよぉ! 私も女性の時にはやってんだろうなぁ。

レッスン終了後ミロンガまでの間に、上海カニの老舗「王宝和酒家」へ。
人気のお店なので、日本から予約しておいた。

お部屋に通され、・・・初めてのお店は緊張する。菜単(メニュー)とガイドブックをつき合わせながら、ん~ん、まずは上海名物の油爆河蝦、後は蟹尽くし:蟹粉蟹肉、蟹粉豆腐、蟹粉青菜、蟹粉小龍包、蟹粉大排翅そして清蒸大閘蟹。大好きな酔蟹はなかった。大好きな清炒蟹粉(蟹ミソだけの炒め物)は菜単になかった。超濃厚、ミソの脂が堪えられない、あのお味をもう一度皆でと思ったけど、無念!

どの料理も薄味、だけど最上等のスープ・上湯を使っているのか本当に良いお味。
そして目的の蟹。今の時期はオスの季節の最後、そしてメスが美味しくなる、両方楽しめるお得な時期なのです。当然両方いただきました。メスは肉はあっさりしているけれど卵もたっぷり入っていて美味しい、オスは肉そのものがとっても重厚な味。堪能しました。
タクシーを飛ばしてもらって、ホテルで着替えてから、Milongaへ。

この日はGran Milonga。男性はブラックタイ、私もフルレングスのお衣装。
Damian y Nancyのデモかがあった。ノリノリ大サービス、5曲。

昨日から踊っているので徐々に打ち解けてきた、おしゃべりもいっぱい。情況が見えてくる。

ミロンガ60名の内訳:明らかにタンゴのために余所から来た人が、香港から10名弱、シンガポールから若干名、日本からが私たち計7名(+1名)、そして フランス、ドイツ、イタリア、アルゼンチン人で上海で仕事をしている人が10名弱。さらに上海在住と言う中に、実は台北から仕事で来ているという人が結構 多くて10名は下らないと思う。と言うように差し引いて行くと、生粋の上海っ子は20名程度ということになるのかな。踊る合間に聞くので私の情報源はほぼ 男性だが、女性は地元上海の人が多いと見た。

さらにL君曰く「上海のタンゴは現在ふたつ。浦東がこの「探戈幇」で、浦西では地中海料理のレストラン「Mediterraneo」でミロンガがあるよ。20人程度だけど。」

帰国してから「探戈上海TangoShanghai」のHPを見るとありました。素敵なレストラン。全く中国ではない世界。写真を見ると踊った欧州人や亜人が。かなりかぶってる。こちらはベースがなく、プラクティカも劇場のスタジオを借りている。
この日は情報の収集がいっぱいできた。

26時過ぎ終了。

素敵なサロンを踊るT氏とはお別れ。彼は遠い、上海の南、杭州からさらに先、たとえ新幹線があっても3時間近くはかかるだろう街から来ていた。明日帰って月曜から仕事。でもミロンガは9時~夜中の2時過ぎまで。土曜までしか踊れない。最後に写真をたくさん撮って、再会を約して別れる。

で、調べると上海の通常のMilonga、「探戈幇TangoBang」も「探戈上海TangoShanghai」も土曜の夜なのだ。彼のように、かなり遠くから来ている人が多いのかも知れない。

上海3日目 11月2日(日)

3日目は、まずどうしても「南翔酒家」の小龍包を食べたい私のために、まず再度豫園へ。店に上がって、目の前の湖心亭を見ながらいただく。さらに前日食べはぐった気になる食べ物を全て食べる。

その後、新天地へ。

ここは「里弄lirong」と呼ばれる集合住宅があった所、外界と遮断するための「石庫門」があるので「石庫門造り」という建築様式。集合住宅の各戸の境は 「うだつ(防火壁)」で仕切られている。1900年代になって上海に人がなだれ込んだとき、狭い地域に多くの人が住むために日本の長屋をまねて造ったと か。それが近代化する上海に合わず、取り壊されるという話だったが、観光地「新天地」として蘇った。
斬新なバー、欧州調のレストラン、シノワズリの小物や洋服の商店、もちろんここにもスタバ、ハーゲンダッツが・・・まるでパリの街、でも建物は「石庫門造り」、そして石畳がよく似合う、不思議な空間。品物のお値段は銀座並。でも、観光客だけでなく、上海の若者達にも人気のようだ。

14時~17時半で2 Lecciones。ワルツ、コルガータとボルカーダ。
娘はとっとと私の男靴を履いた。私は今日は女で通すぞ。ワルツは皆一斉にリズムで行ったから、皆何となくできたみたい。
でもコルガータとボルカーダは彼らにとってかなりの難物だったようだ。アウトバランスができない、みんな自分で立っちゃう。

レッスン終了後は小腹が空いたので、そばの「回民食堂」へ、つまりイスラム式中華料理です。豚肉はないけど、孜蘭羊肉麺(羊肉を香料ヅーランで味付け した汁なし麺)、牛肉青菜麺、青椒土豆絲(ピーマン、ジャガイモの千切り炒め)。毎食だと飽きるけど、たまにはこういうのもいいなぁ。庶民の味。

ちょっと遅めの21時過ぎにMilongaへ。Farewell Milongaだったが、日曜なので20名くらい。
23時過ぎDamian登場。今日は全員と踊ると宣言していたが、Milongaは23時45分まで。私たちまでは無理だろうと思っていたら、ちゃんと回ってきてくれた。結局26時過ぎまで踊ってました。

上海最終日 11月3日(月)

最終日はのんびりイートンホテルでゴージャスなブランチ。
その後、Charlesが紹介してくれたホテル脇のマッサージ屋さんで「足裏マッサージ」と「角質とり」。日本円で1000円弱。超満足。
終了後、預けておいた荷物をとり、タクシーで空港へ。

結局、上海のタンゴの拠点は2つ:
浦東の「探戈幇TangoBang」 http://www.tangobang.cn/main.html
Leccion水土、Milonga金土日、Practica毎日
浦西の「探戈上海TangoShanghai」 http://www.tangoshanghai.com.cn/index.asp
Milonga土、Practica水
いずれも人を招聘してのWSをしている。

上海中心部真ん中を南北に流れる川の東岸、浦東は新しい上海を象徴する超近代的なビジネス街。30年近く前に行った時には工場街だった。

西岸、浦西の旧中心街のはずれ、静安寺。この辺りは旧米英共同租界で、旧フランス租界も近く、もともと素敵な洋館の多い地域。「探戈上海」のかもしだす雰囲気もこの辺から来ているのかも。帰りの空港で遭遇した香港のAndore君によれば、上海のタンゴ人口は100人程度、先生も5ペア。香港の300人、先生5ペア、さらに今は若いPablo y Noeliaが常駐している情況とはちょっと違うかな。

興味の尽きないアジアのタンゴ。台北も上海もまた行きたいです。

最後にタンゴ用語の中国語版を
タンゴ 探戈、
ミロンガ 米隆迦、
バルス 華爾滋、
ミロンガ 舞会、
バレハ 舞伴、
テクニカ 技巧、
アブラッソ 擁抱、
カミナンド 走路、
クロス 交叉、
オーチョ 八歩(劃八)、
ヒーロ 旋轉、
ガンチョ 勾脚
ボレオ 甩腿、
サカーダ 置換、
バリーダ 拖曳、
パラーダ 停止、
ボルカーダ 前傾、
コルガータ 後傾、
プラネオ 共軸旋轉、
エンロスケ 螺絲、
ラピス 鉛筆(原地劃圈)

っていうところかな。
なかなか的を得てると思うんだけど・・・。

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[活動レポート 09/30] 今後のタンゴ増員活動のあり方

Our Interest

踊る相手の根底にある共有知識としての駆け引きが「ダンスの動き」「タンゴの音楽」を媒介として出来ることがタンゴダンスの楽しみであると私は考えている。ここを追及することが「タンゴが好き!」の活動の原動力となっていると思われる。

たとえば、以下に示すのが、私の考える、タンゴの踊り始めの瞬間(タンゴ・ビッグバン)の前の時間?に繰り広げられる様相だ。

そこで肝となる、コミュニケーションとしてのタンゴが円滑になるかどうか、裏を返せばミロンガに活気が無いと感じる時というのは『ミロンガの人の賑わいの演出』というところが軽視されてきているのではないか?という問題提起につながる。

たとえば、最近のミロンガを見てみると、ゴージャスな海外のビッグネームが並び、さすがと思わせるデモンストレーションが続き、そして入場料としても案の定と思えるような形態になるものがある。それらを筆頭に、今のミロンガでは多くの場合にこれらが模倣され、必ずお決まりのデモがあることによって跳ね上がる入場料を、その代わりに他のサービスを削ることによって賄う傾向にあるだろうか。

ここで削られたサービスの内容としては、酒がまずい・床が悪い・選曲がテキトー・・などなどという細かい不満もあれば、本質的にミロンガの主であったはずの『ミロンガタイムでの人の賑わいの演出』に関わるようなものもあるだろうか。参加する客からしてみれば、「デモンストレーションがあってそれだけでも満足できる」という観点では一見敷居が下がっているように見えるが、踊りに関する他の面ではなかなか厳しいものが要求されていて結果として敷居は上がっているように感じる。

第一に初めてミロンガに参加する人が次回足を運びにくいことにつながるだろう。簡単に言うと次のような例はいかがだろう。サルサ・パーティでタンゴのことを聞いて初めてミロンガという物に参加してみたところ、ちょっと踊ってみようにも踊れない。レッスンをやるというので30分参加してみて、さすがにダンスやっていただけあってうまいね、などと言われてタンゴを踊れるような気になってくる。勇気を出して座り込んでいる人を誘ってみるが足が痛いとか言って断られ、やっと踊ってくれたオバサマにはステップ一歩ずつにいちいちダメ出しされる。しまいにはサルサの踊りってのは腰の動きがどうのこうの、と言われる。あぁ、今日はほとんど体を動かしていないな。などと思っているうちに、やがてデモンストレーションが始まって、おおさすがにすごいね!ああ今日は来てよかった。さぁ帰ろうかと。でもタンゴってのは大変だからもうこりごりだ。

第二に長年タンゴに携わった人が足を運びたくなくなるという深刻な事態にもつながるだろう。少し乱暴なことを言うならば、「デモンストレーションがあってそれだけでも満足できる」人にとってみればミロンガタイム(一般の人がダンスを嗜む時間)は苦痛の時間でしかないし、デモンストレーションに飽きればもうタンゴには足を運ばないこともある。さらにまた、デモンストレーションを自分でやってみようと思う人あれば、結果としてミロンガなんか行ってないでレッスンに没頭してペアを組んで練習しまくることを考えてしまうかもしれない。これらの傾向は何人かの友人に尋ねてみても共通する傾向のようで、ミロンガ離れ・ミロンガ行き詰まりという一つの結果として現れているのではないかと想像している。長年タンゴに携わった人にとってはどこのミロンガに行っても「踊りたい人がいない」ことで、最終的につらい決断を迫られることもあるだろう。

タンゴが好き!では、「タンゴ増員計画」と称してタンゴの魅力を色々な人へ伝える活動を行っている。ロングテールという言葉もあるように、インターネットを通して実に小さなイベントや活動でさえも耳にすることができるようになり、「タンゴ」ということについての取っ掛かりは広がっているのだろうと思われている。

Our Approach

ミロンガ自体をもっと楽しむために、我々に何ができるか?

「踊る」「弾く」そして「誘う」。

まさにこのアプローチは今も健在なのではないか、と思っている。さきほどの『ミロンガタイムでの人の賑わいの演出』を行うことについて考えてみれば、主催者・そうでない人という対比ではなく、ダンスを踊る人・演奏をする人・そして盛り上げる人という立場でそれぞれミロンガタイムを賑やかにしていけばいいのである。このような図式はダンス音楽に共通で成り立つものであるが、特にタンゴについてはダンス・音楽・歌詞という物がそもそも切っても切り離せないものとして誕生してきたルーツがある。

しかしながら、「タンゴ」というひとつの言葉の捉え方でさえも実に多様な立場がある。たとえば、「タンゴ音楽」という物について図にしてみると、下のようになる。

そんなコミュニケーションにおける共有知識としての「タンゴの音楽」が暗黙知としてでも広がれば、より面白いね!そしてもっと人も来るだろうね!

ということで、本当に余計なお節介であることは重々承知だけれども、次のようなタンゴ界の変革を個人的なゴールとしている。

演奏家とダンサーの接点を、つまり踊りと音楽の接点を模索していくアプローチ。
それにより、本来のタンゴとしての consistent な解が見えるかもしれない、などと勝手に考えているところである。

Our Vision

最後は、もっとつまらない話になります。

タンゴ増員計画の考え方の根底は、タンゴを活性化できるプラットフォームとなることとしている。

先日、とある会合で一緒に講演する機会があった先生の文献に
ちょうどいい文面があったので、ここに敢えて引用させて頂く。

参考:「根来のプラットフォーム・ビジネス」
http://d.hatena.ne.jp/ichieido/20070125

まず、プラットフォームをビジネスとしている形態の種類は以下の3つとされているらしい。

①インフラ型プラットフォーム・ビジネス:不特定の主体間の生産や商取引を可能にする基盤を提供する私的ビジネス
②取引仲介型プラットフォーム・ビジネス:主体間に介在して、第三者間の取引を活性化させるビジネス
③インターネットプラットフォーム・ビジネス:取引仲介型プラットフォーム・ビジネスのインターネットにおける部分集合

タンゴ界において見るならば、プラットフォームとして機能しているかどうかは置いておいて、
①・・・プロ活動に付随する形態、
②・・・TiempoやLATINAやNPO、各種同好会などの形態、
③・・・「タンゴが好き!」などのインターネット上で行われる形態、
という分類となるかもしれない。

「タンゴが好き!」としては、①・②で手の届きにくい、痒いところをカバーしたい。

同参考文献によると、プラットフォームとして求められているものは、検索性・網羅性・中立性・信用供与・情報整理の5つだそうである。なかなかタンゴにおいてこれを実現することは難しいが、ここを求めていくことが一つの道しるべとなっている。

ここを意識しながら、プラットフォームとしての役割、つまり情報交換をする場所を提供できること、そして、ダンサー・演奏家・主催者などの間に入って、その関係をつなぎ止めるような役割を担うこと、を目標にしていきたいと考えている。

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[特別寄稿2008年4月] アルゼンチンタンゴとクラシックバレエ - 高砂亜矢子

アルゼンチンタンゴとクラシックバレエ パート1(タンゴとの出会い編)

私がアルゼンチンタンゴと言う存在を知ったのは、
1998年秋、ブエノスアイレスで本場のタンゴショーを観た時でした。

当時、とある日本のバレエ団に在籍していた私は、
団の遠征でブエノスアイレスのテアトロコロンでの公演に出演していました。
公演がoffの日に仲間の団員数人で、
生まれて初めてアルゼンチンタンゴを観に行ったのを覚えています。

観に行った仲間は皆プロのバレエダンサーなので、
少々のレベルでは動じないはずだったのに…
アルゼンチンタンゴは、私達に大きな衝撃を与えました。

先ずは、向かい合って、深い包容をしながら、
頬と頬をすり合わさんばかりに寄り添って踊っている姿。
(バレエでは、作品によってはその様な瞬間もあるが、
その形をキープしながら踊り続ける事はあり得ないので)

そして、お互い近くで踊っているのにもかかわらず、
足を踏む事なく、早い音楽で動き続けていたこと。
(バレエでは、早い動きをする際は、
隣り合わせになるか、もしくは離れて踊るから)

更に、相手に足を絡めたり、
まるで蹴っているかのような動きなど、人の動きの限界を越えてるー!
(バレエでは、相手の足に触れる事はまず無い)

練習さえすれば、
それなりに何でも踊れる実力のあるプロのバレエダンサー達は、
皆口をあんぐりあけ、お手上げ状態でホテルに戻りました。

次の日、テアトロコロンの楽屋では、
皆口々に【アルゼンチンタンゴ凄いよ話】をして盛り上がりました。
やはり同じく皆ダンサー。
殆どの団員が、

『タンゴとは何ぞや?』

と、ジャンルは違うアルゼンチンタンゴというダンスが気になり、
それぞれタンゴショーを鑑賞しに行っていたのでした。

あれから10年。
私は何故か、トウシューズから、タンゴシューズに履き替えておりました。

無謀にも、バレリーナからタンゴダンサーになろうと悪戦苦闘している私の実話を、
どうぞお読み下さい。

アルゼンチンタンゴとクラシックバレエ パート2(タンゴへの一歩編)

子供の頃からバレエをやっていた私にとって、
爪先をまっすぐ揃えて立つ作業は、とてつもなく違和感を覚えました。
バレエの基本姿勢(爪先も膝も股関節も180度開く)から、
タンゴの立ち方(爪先も膝も股関節もまっすぐ揃える事)に変えなくてはならないなんて、天地がひっくり返る程間逆の事でした。
実際、日常生活では180度開く事のほうが有り得ない事ですが…

そして、かかとの無いペタンコのトゥシューズから、
足先の細くかかとの高いピンヒールに慣れる事。
(爪先立ちをするバレエのレッスンで酷使した足を休める為に、
日常の靴はスニーカーが多く、ピンヒールなんて未知の世界でした)

そして、バレエで言う6番ポジション(爪先を揃えて立つ)に立ったとたん、
突然注意が飛んでくる。

『バランスが悪い』

へっ?
私は今きちんと自分で立っているし、よろけていないのに。
『親指の付け根にバランスがなければ、リードが来た時に動けないよ』
そうなんです。

これがバレエとタンゴの一番大きな差なのです。
バレエは足を動かす際、動く足と反対側の軸を引き上げ、
完全に軸足にバランスを移した状態で、足を出す作業をします。

しかしタンゴは、常に両足にバランスの比重があり、
軸足のバランスも動く足に半分ついて行く。
軸足と動く足のバランスが半々になると言うことは、軸足が斜めになる。
そんな事は、バレエではタブーとされていてた為、
タンゴの軸を私の体に覚えこませるには、本当に至難の業です。

しかし、それ程難しい一歩だからこそ、
上手な人はカミナンドだけでも美しいのですね。

バレエには、歩くだけ
で見せるテクニックは殆どありません。
せいぜい曲が始まる前に歩いてスタンバイする位で、
振りと振りのつなぎには、軽いジャンプのようなステップが入っていたり、
とにかく踊りが始まってしまったら、歩く事はただの移動に過ぎません。
後ろに歩く事も、殆どありません。

【膝を揃えて歩く】

これが、バレエダンサーだった私の一番の難関かもしれませんね。
恐るべしタンゴ!

*余談ですが、私、【バレエへの一歩】という講座を開いています。
大人になってからバレエを習う人の為の講座です。
自分が大人になってからタンゴを始めてみて苦労している部分は、
初心者の気持ちを理解するために大変役立ちました。
http://www.megurogakuen.co.jp/class/01ballet/class07balletippo.html

アルゼンチンタンゴとクラシックバレエ パート3(完結編)

バレエでは散々クルクル回って来た私ですが、
タンゴで回るとなるとまたまた未知との遭遇でした。

バレエで回転する時は、基本的に足を前後大きくに開いて準備し、
アンデオール(外回り)、もしくはアンデダーン(内回り)をします。
準備の段階で膝を緩め、思い切り伸び上がった状態で摩擦を少なくして、
体重も軽くしてクルクルと回ります。
回り終わったら、ピタッとポーズをとって終了。

しかしタンゴで回る時は、割と足を揃えた状態から準備し、
膝が曲がった状態で重心を落として回るからビックリ!

でも凄く納得した事は、タンゴの回転は、独立したテクニックでは無く、
動きの途中だからこそ回転が解けた後も止まらずに動きに繋がるんですね。

バレエの場合、大抵回ったら決めのポーズが入ります。
(例外として、連続回転(グランフェッテ・ピケターン)等もありますが)

ヒーロー等、女性が男性の周りを回るなんて、勿論バレエにはありません。
これこそ、私にとってはいつ克服出来るかドキドキな課題です。

今はまだ、タンゴとバレエの違いを発見する度にカルチャーショックを受けている私ですが、バレエやってて良かった!
って思える日が来る事を信じて、一歩ずつタンゴの世界に踏み込んで行こうと思います。

2008年4月13日(日)
キリンビヤホールミロンガin馬車道にて、今年の1月よりペアを組んだ
四十八願恵太さんと、私の人生初デモンストレーションを行います。

2008年4月13日(日)
12:00~15:45
(12:00~12:30初級レッスン)
※14:30デモンストレーション
¥2500-(1ドリンク付)

キリンビヤホール馬車道店
横浜市中区常盤町4-45アートビルB1
045-671-1851
JR関内駅北口徒歩3分
地下鉄関内駅徒歩1分
みなとみらい線馬車道駅徒歩5分

アクセスはコチラ→
http://www.rkfs.co.jp/beerhall_bashamichi/access/index.html

遊びに来て下さい。
皆さんのお越しをお待ちしています!

http://k-tango.at.webry.info/200803/article_4.html

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[特別寄稿2007年12月] あるタンゴ中毒の症例(重度の患者)について - Tangofun

あるタンゴ中毒の症例(重度の患者)について - Tangofun

あるタンゴ中毒の症例(重度の患者)についてご紹介させていただきます。

この患者はいま、ブエノスアイレスに住み、タンゴを勉強する傍ら、タンゴフリークのための宿屋を始め、そこでセントロスタイル(アルゼンチンタンゴのサロンスタイルの1つ)のプライベートレッスン、また、ミロンガでのグループレッスンのアシスタントに明け暮れています。

症状 第1段階

 この患者がタンゴを始めたきっかけは、その頃(2003年)勤めていた会社の健康診断で、糖尿病と診断されたことでした。糖尿病は、薬を飲んで治す類の病気ではなく、食事療法や運動療法によって、うまく付き合っていかなければいけない厄介な病気です。そして、医者から、運動療法として何か継続してできるものがないか、探すように言われました。ちょうど時を同じくして、NHK教育テレビで、小林太平先生の「趣味悠々」が放送され、それを見てアルゼンチンタンゴを始めてしまいます。これは、糖尿病の合併症としてタンゴ中毒症が発症した珍しい症例と言えます。

 皆さんもご存知のように、タンゴ中毒症は、一度取り付かれてしまうと、止められない麻薬のようなものです。この患者の場合、最初は週に1回グループ・レッスンに通う程度だったのが、1ヶ月後には、その他にプライベートレッスンを取り、ミロンガデビューし、3ヵ月後には、毎日レッスンとミロンガに通い、ブエノスアイレスに来てしまうのです。中毒症状の進行のスピードが、加速的に速くなった症例といえるでしょう。

 初めてのブエノスでは、単なる踊りだけではない男女の駆け引きを、本場のミロンガで体験し、日本のミロンガでは、味わえない心地よさを見つけてしまい、日本に帰った後も再び来たいという欲望に、さいなまれるようになります。
翌年10月にブエノスで開催された「ワールド・タンゴ・フェスティバル」に参加するために、2度目のブエノスを体験し、その時、自分のためのお土産として、フロリダ通りのタンゴショップで、DVDを購入。日本に帰って、早速DVDを見た時に、自分の求めていたタンゴに、初めて出会った気がしたようです(それまでにもすばらしい先生やダンサーには、出会っていたのですが、その時はまだ、自分が成長していなかったのだと思います)。そのDVDの中で踊っていたのが、この患者の今の師匠、ダニエル・ラパドゥーラだったのです。そして、DVDを見ながらセントロスタイルを独学で勉強し始めます。

 セントロスタイルは、ブエノスアイレスの混んだミロンガでも他の人にぶつからず、タンゴを楽しむことが出来ることを目的としたスタイルなのです。そのため、アブラッソは深く組み、踊っている間、胸のコネクションを維持し続けます。自分とパートナーの立っているスペースを利用して踊るのです。当時のこの患者の悩みは、レッスンで習ったステップが、すぐにミロンガで使えないこと。そして、一つ一つのステップの終わりにクロージング・ステップを使ってしまうことでしたから、セントロスタイルは、その両方を一気に解決してくれる、魅力的なスタイルだったようです。この患者は、混んだミロンガでも女性を誘って踊れることに、快感を感じ始めてしまいます。このようなスタイルにめぐり合ったことにより、患者の症状は、ますます進行していったようです。

 さらに、この患者にとって、症状を加速させることが、起こりました。DVDでしか見たことのなかったダニエル・ラパドゥーラが日本にやって来たのです。棚田先生がゴールデンウィークに開催するタンゴウィークで、本物のダニエル・ラパドゥーラに会うことが出来ました。患者は、グループ・レッスンを全て受講し、お腹の大きかった(妊娠5ヶ月)妻まで巻き込み、一緒にプライベート・レッスンも取りました。DVDに入っていたステップは、全て覚えてしまうくらい、穴の開くほどDVDを見ていましたが、実際のレッスンでは、アブラッソ、体重の移動、そしてリードの方法が、まるで違いました。この患者は、「ダニエル・ラパドゥーラのスタイルをより深く理解したい」という思いを日に日に強くしていったのです。

症状 第2段階

 この頃から中毒症状の第2段階といわれるタンゴコンテストへの参加による快楽追求の症状が、顕著に現れてきます。第2回タンゴダンス選手権サロン部門でファイナリスト、そして、10月に行われた第1回オープンタンゴ選手権サロン部門では、準優勝し、コンテストに出る止め処のない快楽に浸るようになります。そして、もっともっとセントロスタイルを勉強したいという欲望がついに抑えられなくなってしまいます。その時、患者の師匠から「アシスタントにしてあげるからブエノスにおいで!」そして「自分の持っているすべてを教えてあげるよ」という患者にとって最高の誘惑により、アルゼンチン行きを決意してしまうわけです。

 2005年の2月に3度目のブエノスの地を踏み、師匠のアシスタントをしながら、レッスンを受け始めます。4月までの3ヶ月間にセントロスタイルの基礎を叩き込まれます。その間に、ブエノスでの生活の拠点となる家を探してしまいます。師匠の紹介でボエド地区でベッド&ブレークファーストを営む方のところにお世話になっていたこともあり、ボエド地区が気に入ってしまいます。この地区には、タンゴと関連のある場所がたくさんあり、とてもタンゴを身近に感じられたからです。ボエドという曲もあるくらいですから。そして、10件位の物件の中から現在の住まいに決め、購入しました。

症状 第3段階

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(Casa de Ana外観)

 アジア大会参加(ファイナリスト、審査委員長賞受賞)のため一度帰国しましたが、6月の末に再び戻ってきて、宿屋「Casa de Ana」開業のための準備をしました。「Casa de Ana」という名前の由来は、患者の妻のタンゴネーム(師匠が付けたのですが)Anaの家ということで、タンゴフリークが集まるアットホームな宿屋を目標としてつけました。8月のオープニング・パーティーには、世界大会に向けて日本から来ていた、多くのタンゴダンサーの方々をお迎えすることが出来ました。

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(オープニング。パーティーの様子)

患者の楽しみは、お泊りいただいた方々とタンゴの話をしたり、ミロンガに出かけたり、また、セントロスタイルのレッスンをお受けいただいたりして、ブエノスでタンゴを楽しむお手伝いができることに変わっていきます(第3段階)。

症状 第4段階

 さらに、症状は悪化し、今年は、ブエノスアイレス市主催のタンゴ選手権大会(通称メトロポリターノ)のタンゴサロン部門に出場(ファイナリスト:参加約600組中30組)してしまいます。日本人の患者が参加することをよく思わない人もいるのではないかと、心配でしたが、ブエノスのタンゴ中毒患者は、みんな喜んで応援してくれました。そんなたくさんの応援の中踊れることで、患者はさらに幸せな気持ちになっていくのです。

image006.jpg
(世界大会の様子:左が患者)

 次は8月の世界大会サロン部門に出場(セミファイナリスト:62位)してしまいます。ここでは、世界には、タンゴが上手な人(タンゴ中毒症末期)、大好きな人(タンゴ中毒症予備軍)が、他にもたくさんいることがわかりました。患者は、それがわかっただけで安心し嬉しさを感じてしまいます。タンゴは競い合うものではないと思いますが、選手権を通して得られることは、テクニック的にも精神的にも、とても多く、患者のタンゴ中毒の症状(情熱)が、確かめられるのです。そして、毎年参加するように、なっていくようです。

患者から患者へひとこと

 今後、日本にも、このタンゴ中毒症が、全国津々浦々まで浸透していくことと思います。そして、もっともっと多くの日本人の中毒患者が、ブエノスアイレスに、集まるものと思います。でも、この中毒者の増加は、どんなに進んだ医療技術をもってしても、止められないのです。なぜなら、タンゴ中毒症は、人間の心の奥底にまで入り込み、快楽を与え続けるからです。この文章を、お読みの皆様、お気をつけください。でも、すでに中毒症状が見られる方は、お早めにブエノスアイレスをご体験ください。お泊りは、Casa de Anaをよろしくお願いします。

Tangofun

Casa de Ana
http://www012.upp.so-net.ne.jp/tango-fun/


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[活動レポート 02/24] Así se baila el tango - チノ&ミホ歌詞勉強会 - milonguera tomoko

Así se baila el tango - チノ&ミホ歌詞勉強会 2007/02/24 18:00-19:00 六本木トロピカーナ

1:タンゴ観を理解するための歌曲

最近タンゴ(ダンスも音楽も含めた)はいかに理解するべきなのかということ、そして、日本でタンゴに関わっている人たちはどのようにタンゴそのものを受け入れているのかということにも関心がある。私自身タンゴを理解していく上で常々もっと曲についている歌詞をよく知っていくことが大切であると考える。歌詞のついているタンゴを聴いていると、古いものにしろ新しいものにしろ、各時代のタンゴが踊られる場面、タンゴ的な場面、自分たちのタンゴ観について語ったり、人々にタンゴはこの様なものであると語りかけているものが多い。こういった曲をもっと深く理解できるようになったら、踊る場面や演奏する場面でも表現方法が変わるのだろうという思いがしてならない。これが今後、自分自身がタンゴに関わっていく上での課題の1つであるだろう。しかし、石川浩司さんが‘97年に執筆していらっしゃる 『日本のタンゴ文化はサブカルチャーなのか?-日本のタンゴ愛好家の嗜好とその形成過程についての考察-』 で触れていることであるが、日本においてタンゴの歌曲はアルゼンチンの状態と比較すると普及していなく、その理由は言語の壁だけでなく、その背景の理解の不足にあるという。つまり、歴史・文化的背景に、さらに作詞家の思想的・哲学的背景の理解も必要であるということなのである。これに関連して自分自身でも大変興味深いと思った経験がある。エバリスト・カリエゴ Evaristo Carriego は曲のタイトルにもなっていて、あるいは彼自身も作詞をしている詩人であるが、その彼の名前をタイトルにボルヘスというアルゼンチンの偉大な作家が短編小説を出している。そこにはエバリスト・カリエゴ自身のことであったり、ボルヘス自身のタンゴ観に通じるブエノスアイレス観が書かれている。それを読んだ後に改めて A Evaristo Carriego を聴くと何かさらに深いものを感じた記憶がある。その時の感覚を大切に、これからも出来るだけタンゴの背景について理解を深めていくようにしたい。


2:タンゴ歌詞の大切さ

RIMG0107.jpg前置きが長くなってしまったけれど、先日タンゴの歌詞を学習する会に参加する機会を得ました。毎週六本木のトロピカーナにて行われているタンゴ練習会ですが、2月24日にはアルゼンチンより来日しているチノ&ミホによるダンスレクチャーだけではなく、彼らによってタンゴの歌詞勉強会が催されました。参加者はスペイン語を理解する人もしない人も集っていましたが、チノさんのスペイン語による説明に、ミホさんがさらに日本語で通訳をしていただき、また所々でお2人が実際に組んでダンスの諸動作も交えながら分かり易くレクチャーして下さいました。ダンサーならではの勉強会だったでしょうか。

その日に取り上げた曲は Así se baila el tango。まずは何故その曲が取り上げられたかというと、チノさんのお父様はタンゴ歌手アルベルト・カスティージョ Alberto Castillo を好んで、彼が歌う場によく通ったそうで、お話によると、彼の歌い方・その場面の使い方にはとても特徴があり、彼はマイクロフォンを持ちながら歌い、時々それをお客の方に傾けて問いかけたりしたそう。 Todotango の彼についての 説明のページ にもそのようなエピソード等が記載されているので、詳細を知りたい方はそちらをご参照を。その様な彼の特徴が良く表れるものとして、またタンゴの歴史が詳細に語られるものとして上記の曲が取り上げられたようである。

ではどの様な感じでその特徴が表れるのか。歌い始めはこう:

¡Qué saben los pitucos,lamidos y shushetas!
¡Qué saben lo que es tango, qué saben de compás!

この部分の歌詞を日本語に訳してみると:

高級住宅に住むやつらが、髪を撫で付けているようなやつらが、気取ったやつらが何を知っているんだ?!
やつらはタンゴというもの、そのリズムを知っているのか?!

というような感じで、まずは問いかけで始まっている。もうこれを読んで察する方もいるかもしれないが、上記の部分では富裕層の人々が踊るタンゴを皮肉っているのである。それではその先ではどのようなことが語られているのか。後半はこうである:

Aquí está la elegancia. ¡Qué pinta! ¡Qué silueta!
¡Qué porte!¡Qué arrogancia!¡Qué clase pa`bailar!
Así se corta el césped mientras dibujo el ocho,
Para estas filigranas yo soy como un pintor.
Ahora corrida,una vuelta,una sentada…
¡Así se baila el tango,un tango de mi flor!

以上の歌詞の日本語訳は次の通り:

ここにタンゴのエレガントさがある。
何という美しさ!何という姿!
何というエレガントなポーズ!何という誇りの高さ!何と素晴らしい階級の踊りか!
オチョを描いている間に、このように芝生を刈る。
そのようなラインを描く、私は画家のようなものである。
これがコリーダ corrida (曲で言うバリエーションの部分で、細かい、時に激しい足取りのステップ)、ブエルタ vuelta (ヒーロ)、センターダ sentada (女性が男性側に寄りかかるようにするポーズ)・・・。
このようにタンゴは踊られる!これが最高のタンゴ!

この部分が、前半と比較するととても面白い。前半では富裕層の踊りを皮肉を交えて描いていたのに対し、後半では貧困層の踊りを肯定して描いている。そしてここには初期のタンゴの歴史、タンゴが踊られていた環境、ダンスの動作の話が出てくる。歌詞の中に「オチョを描いている間に、このように芝生を刈る。」とあるが、これはもともと床が現在のサロンのようなものではなく土の床で、そこにあたかも8の字を線で描くような様を表している。そして、富裕層の気取ったステップと違い、貧困層の人たちの踊りはコリーダ corrida、ブエルタ vuelta、センターダ sentada など動きが荒めのものであったことが分かる。今回この稿には載せない歌詞の部分にもケブラーダ quebrada というものが出てくるが、これも彼らの動作の1つ。これは体をひねりながら(折り曲げるというような感覚だそう)後ろに大きく後退していく形。チノさんのお話によると、こういったような激しい動作の伴うものは、危険動作禁止の警備体制の敷かれていた40年代のサロンでは取り締まりの対象になっていたそう。ここで注目に値するのが、サロンで禁止されたものがステージへと残っていくという過程である。

最後に、歌詞のリフレイン estribillo の部分に触れたいと思う。その部分は次の通り:

Así se baila el tango.
Sintiendo en la cara,
la sangre que sube
a cada compás,
mientras el brazo,
como una serpiente,
se enrosca en el talle
que se va a quebrar.
Así se baila el tango,
mezclando el aliento,
cerrando los ojos
pa`escuchar mejor,
cómo los violines
le cuentan al fueye
por qué desde esa noche
Malena no cantó.

リフレインの前後で歌手の la actitud が変わることも注目する点であることにも触れていた。la actitudを辞書で引くと「姿勢/態度」といった意味が出てくるが、レクチャーの中で話されていたことからくみ取ると、リフレイン前は語りかける形式で、リフレインに入ると真実を説明していく形式になっていて、それぞれの部分で歌手は色調を変えることを la actitud が変わると言うようである。

以上の歌詞の日本語訳は次の通り:

このようにタンゴは踊られる。
リズムを踏むごとに
沸きあがってくる血を
頬と頬で感じながら。
一方で男性の腕は
くねらせようとしている女性の腰に
蛇のように絡み付いている。

このようにタンゴは踊られる。
バイオリンが
蛇腹に語りかける様に
音楽に耳を傾けるため、
吐息を交じらせながら、
目を閉じながら。
なぜなら、
その夜からマレーナが歌わなくなったから。

ここの部分では男女2人が深く抱き合いながらタンゴを踊る様子が描かれている。続きはまだあるがこれ以上記述する必要がないくらい、ここまでの部分に取り上げるべき要素が凝縮されている。

RIMG0107.jpgここまでを振り返ってみると、曲の歌詞が初期のタンゴの歴史、タンゴが踊られていた環境、ダンスの動作、タンゴの踊るときの男女の状態と様々なアスペクトからタンゴというものが何であるのかということを私たちに教えてくれている。最初の方で触れたように、言葉の壁、そして歴史・文化的背景、作詞家の思想的・哲学的背景の理解に欠如している自分にとってチノさんとミホさんのお話はとても貴重なもの。アルゼンチン特有の隠語 Lunfardo、スペイン語的言い回し、歌詞に浮かび上がらないけれど必要不可欠な歴史的背景は、その国を深く知り、タンゴに長い間携わっていらっしゃるお2人より教えていただかなければ、たった1曲だけれども、それさえも理解できなかったかもしれない。しかも今回のレクチャーの特徴的な部分は歌詞に出てくるダンスの諸動作をお2人が再現してくださったところで、そのおかげで内容がさらに立体的に浮かび上がって見えてきた。歌詞に空間を見たような気がする。今回の歌詞勉強会・ダンス練習会を通して改めて思ったことは、やはりタンゴは音楽を表現するにも、ダンスを表現するにも、ブエノスアイレスに根付いたものを探求するところに重要性があるということである。これからも以上のようなことを多くの人と学んで共有し合える場を持ち続けたい。そして出来るだけ自分でも、原語でしかない歌詞を日本語におこす作業を個人的にでも良いので続けてみたいと思う。

チノさん、ミホさんには感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。

Tangueros Unidos - El Chino & Miho

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[スタッフのおすすめ] El Fuelle(エル・フエジェ):1stCD「MIYUKI TANGO」発売! 2月14日

El Fuelle(エル・フエジェ)ファーストアルバム発売!

2月14日、「El Fuelle(エル・フエジェ)」の待望のファーストアルバム「MIYUKI TANGO」が発売されます!

MIYUKI TANGO by El Fuelle

アルバム名:MIYUKI TANGO
   品番:NMSW-0001(NMSW Records)
  発売日:2007年2月14日
   価格:¥3,000(税込)¥2,858(税抜)

      ネットでの注文はこちらまで・・・

      ◆Watch Your Step
      http://wys.shop-pro.jp/
      ◆ダンスビュウ モダンショップ
      http://www.danceview.co.jp/shop/shop_cds.html

  演奏者:El Fuelle(エル・フエジェ)
       佐藤美由紀(ピアノ)
       江藤有希(ヴァイオリン)
       早川純(バンドネオン)
       スズキイチロウ(ギター)
       清水良憲(コントラバス)

   曲目:1 Miyuki Tango(曲:スズキイチロウ)    
      2 Mala Junta(曲:J. De Caro)
      3 El Porteñito(曲:A.Villoldo)
      4 Mal de Amores(曲:P.Laurenz)
      5 Oblivion(曲:A.Piazzolla/佐藤美由紀)
      6 La Rayuela(曲:P.Ziegler)
      7 El Objeto Perdido(曲:スズキイチロウ)
      8 Bajo Tanguero(曲:E.Lettera)
      9 Don Agustin Bardi(H.Salgan)
      10 Palomita Blanca(A.Aieta)
      11 Nocturna(曲:J.Plaza)
      12 Uno(曲:M.Mores)

 「このCDを僕はとても興味深く聴いた。
  この珠玉の哀愁は、これからも El Fuelle が大切に保持していってほしいと、
  僕が切に願う点だ。 」

「ジャズ詩大全」著者・村尾陸男氏によるライナーノーツ

 アルバム発売に先駆けて、2月2日江古田 Buddy にて先行ライブが行われました。
 5人の横顔

 ロベルト氏 乱入!

 みゆきたんご&yukivn&牛

 「El Fuelle」とは、スペイン語で「蛇腹」。タンゴの花形楽器、バンドネオンという楽器を指す言葉です。またその蛇腹を比喩し、伸縮性のある、つまり柔軟な姿勢を持ったタンゴバンドを目指すという意気込みもこめられています。

 2004年春、タンゴ・ピアニスト佐藤美由紀の呼びかけにより始動。タンゴ専門の演奏家のみならず、クラシック、ジャズ、ショーロなどを演奏するメンバーが集合し、関東を中心に演奏活動を展開中。

 
 従来のタンゴのあり方にとらわれない新しいスタイルを模索し、譜面再生音楽から脱却、その時、その場でしか生まれないサウンドが人気です。

 これまでにタンゴダンサー桑原和美主催「グラン・ガルーファ」(05年11月)等のイベント、福井放送のラジオ生番組(2006年6月)に出演などご活躍中。

 このほか、アルバムには、バンドネオン奏者・小松亮太氏(ソニー)によるライナーノーツも掲載されています。

 CD発売についての取材依頼、メディアへのお取り扱いに関しては、リーダーの佐藤美由紀さんへ直接ご相談頂きますようお願い申し上げます。

連絡先:佐藤美由紀 elfuelle-nmsw@s7.dion.ne.jp

メンバーご紹介

佐藤美由紀(ピアノ)
上野学園中学校、高等学校ピアノ科専攻卒業。玉川大学文学部芸術学科作曲専攻卒業。高校時代に友人を介してバンドネオン奏者小松亮太と知り合い、「小松亮太&タンギスツ」初代ピアニストとなる。タンゴピアノを小松真知子に師事。 
ブログ http://elfuelle.exblog.jp/

江藤有希(ヴァイオリン)
2000年よりショーロ(ブラジル器楽音楽)の演奏を始め、04年ブラジルに渡り約二ヶ月の滞在中、リオの代表的演奏家と共演、CD録音に参加。帰国後自身のユニット「レンブランサ」の1stアルバムを発売しNHKのテレビ、ラジオ番組に出演。番組テーマ曲を担当。タンゴ界では小松亮太とNHKのテレビ番組、映画音楽などで共演。 
公式サイト http://www.yukivn.com

早川純(バンドネオン)
東京芸術大学音楽学部楽理科卒業。大学在学中19歳の時よりバンドネオンを小松亮太に師事し、以降小松亮太&オルケスタ・ティピカの一連の演奏会に参加。01年アルゼンチンに短期留学しバンドネオンをM.バルベーロ等に師事。02年よりアコーディオン奏者cobaの呼びかけで始まった「ベローズ・ラバーズ・プロジェクト」に参加し同企画によるCDにも参加。現在自身のタンゴトリオの他「小松亮太&オルケスタ・ティピカ」等国内の代表的タンゴグループで活躍中。 
公式サイト http://www.geocities.jp/puro_zurdo/

スズキイチロウ(ギター)
東京都出身。ギターなのに何故かテナーサックスの藤原幹典に師事。主にジャズのフィールドで活躍し、師匠のグループ、「渋さ知らズ」「渋さチビズ」等を経て(または継続中)現在は自己のバンド「スズキイチロウカルテット」「リマタンゴ」等で活動中。有名野球選手やクラシックギタリストと区別するためカタカナ表記だが本名は「鈴木一郎」。
公式サイト http://members.jcom.home.ne.jp/kamedahouse/ichiro/

清水良憲(コントラバス)
東京都出身。4才でオルガンを、中学でエレキベースを手にし青山学院大学在学中より演奏活動を始める。コントラバスをNHK交響楽団稲川永示に師事、近年はコントラバスでの活動も行う。
現在「ローリングラメーンズ」「酒井洋TRIO」「土肥晃TRIO」「Who’s crazy」「松風鉱一TRIO」「渡邉英一TRIO」「IMONES」「宍倉麻菜美BAND」「リマタンゴ」を中心に活動中。

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[特別寄稿2007年2月] 日本タンゴ的DJ論 - 富川リュウ

日本タンゴ的DJ論 - 富川リュウ

皆様、はじめまして。富川リュウです。
タンゴ歴は4年半。習い始めの2年半はレッスンに明け暮れ、ミロンガ参加は3回だけ。よく言えば努力家、わるく言うとただのビビリィな富川ですが、2年前からは、毎週のようにミロンガに繰り出して妻を困らせている、今日この頃です。

さて今回のお題は、日本タンゴ的DJ論。踊ってて「ここが不満だぁ」って思ってることやら「こんな曲で踊りてぇ」てなことまで、勝手気ままに書いちゃいます。もちろん、独断と偏見の塊ですんで、そこんとこヨロシクです!

<氷川きよしはまだ早い>

海外にも、演歌マニアという方々がいるようだ。この日本という異国の国のワビサビの独特な価値観。コブシをまわす一風変わった歌いっぷり。そんな演歌に魅せられた外国の方々の中には、日本人よりも日本人的な風貌の方もいらっしゃる。

そんな方々が、氷川きよしの演歌を聞いたらどう思うだろうか。きよしのズンドコ節、きよしのドドンパ、等など、変わり種を連発している。きっと海外の演歌ファンは、オーソドックスな、八代亜紀や北島三郎などのベタなド演歌が好きに違いない。氷川きよしはちょっと・・・と言う声が今にも聞こえてきそうだ。

私は何も氷川を否定するつもりはない。すがすがしいキャラクターと抜群の歌唱力。ファンも沢山いて、ヒット曲を連発している。それでも、でもでも、である。日本で、この日本で、皆が子供の頃からド演歌を聞き飽きるほど聞き続けていて、もうすっかり耳馴染みになっていて、それでやっと、やっと今、氷川きよしの時代なのだ。今の時代になってやっと、氷川きよしも新しい演歌としていいなぁ~と、そういう事なんだと思うのだ。

日本にも、タンゴマニアとうい方々がいるようだ。他でもない我々のことだ。遠く離れた地球の裏側、アルゼンチンという国の独特な文化。そのタンゴという音楽と踊りに魅せられた日本人の中には、本場のミロンゲーロを彷彿とさせるような、マニアな方もいらっしゃる。

さてここからは、私の私見的提案である。しかし便宜上「私達」という表現を使わせていただく。

一、私達は、ベタなタンゴをもっと聞きたい。まだまだベタベタなものが聞き足らないのだ。

一、私達は、GOTANなどに代表される、いわゆるエレクトリックなタンゴでは踊りたくない。かけていただくのは構わないが、せいぜい3曲くらいまでにしてもらいたい。

一、私達は、ドラマチックな展開で、いかにもショータンゴに使えそうな曲や、火曜サスペンス劇場のこれぞというシーンで使われるような、効果音的な曲では踊りたくない。ていうか踊りにくいのだ。

冨川は、そんなに色々な曲を知っているわけではないので、やっぱりディ・サルリやフランシスコ・カナロが踊りやすいのです。ワンパターンでもいいじゃないですか。ちょっと変り種をかけるのなら、フォーエバータンゴで使われていたような曲。それくらいなら聞き慣れているし、ついて行けるんだけどなぁ。

<コルティーナ・カーテン・仕切り>

コルティーナとは、スペイン語でカーテンのこと。ミロンガ用語としては、曲と曲の合間にかかる「つなぎ」というか「仕切り」のこと。本場アルゼンチンでは、5、6曲おきに必ずコルティーナが入るミロンガと、全くコルティーナが入らないミロンガの2種類がある。

前者の場合には明確なルールとして、二人が踊り始めたなら、コルティーナが入るまではパートナーは変えない。そしてコルティーナが入ったなら、必ずそれまでのパートナーとは離れなければならない、という暗黙の掟がある。
さて日本では、どうだろうか? コルティーナがパートナーチェンジを促すものであることは知っていても、それが暗黙の掟になっているとは云い難いのが実情ではないだろうか。ならばいっそのこと、コルティーナなんて辞めちゃってもよいのではないか?

日本でも、ある程度定着しているルールがある。一人の人と最低でも2曲、できれば3曲ほどは踊る。5曲、6曲を踊る場合には、男性の方から女性に了解を得る。あるいは嫌がっていないかを察して、しつこくはしないようにする・・・これくらいの暗黙のルールは、だいたい浸透しているのではないだろうか。それに本場ブエノスにだって、コルティーナの全く入らないミロンガもあるんですから・・・ね?

<わがままリクエスト>

富川はディ・サルリやフランシスコ・カナロの他には、オズワルド・プグリエーゼが好き! 特に男性の歌声の入っているやつが。何故かわからないけど、ミロンガでかかる曲の中には、歌の入っているのが少ないような気がするんだよね。

あと好きなのはウーゴ・ディアス!あのギターとハーモニカの痺れるような曲調がたまんないのよ。それからまだ、一回もミロンガで聞いたことのないのが、葉加瀬太郎の「watashi」という曲。これはユージンyアリサがショーで魅せてくれたんだけど、ほんとにムードのあるいい曲なんです。

ねえDJの皆さん! オズワルド・プグリエーゼとウーゴ・ディアスとwatashi!をかけてくださいまし。え~!オズワルド・プグリエーゼも、ウーゴ・ディアスも、踊りにくいじゃないかって?それにwatashiなんてもろにショー用なんだろうし、そんなマニアックな選曲じゃ、他の皆が踊りにくいだろうって?いいじゃない、富川が好きなんだから。富川は好きな曲で踊りたいだけなの! 

あーあ、やっぱり私もただのワガママ野郎だったのね・・・おあとがヨロシイようで。

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[特別寄稿 2007年1月] 誰のために踊るのか - Mana

特別寄稿 誰のために踊るのか
Mana

はじめまして&こんにちは。Manaです。茗荷谷タンゲーラのHP「TANGOZUMZUM~アルゼンチンタンゴを踊ろう(http://www.tangozumzum.net/)」で「マナのタンゴの細道」というエッセイを連載しています。まだまだタンゴ歴浅いのですが、こわいもの知らずにわからないことをどんどん書くのを売りにしてますので、お気に召さないことがあっても怒ったりしないで、どうぞよろしく。

さて、寄稿させていただくお題は
「誰のために踊るのか?」
張り切ってやけに大きいお題なのですが、タンゴって結局誰がいい思いをするものなのか?そんなことをちょっと書いてみたいと思います。あくまでこういう見方もあるよ~。という独断と偏見にみちた所見なので、その辺はお含みおきを。

1、見せるものか、魅せるものか

先日普段あまり行かないミロンガに行ったところ、こんな体験をしました。

主催者「彼女manaちゃんよ。○さん踊ってあげて?」
○ 氏(伏せる以前に名前をあえて忘却)「ふぅん、で、あんたはどんな踊りをするわけ?」
mana「(は?)リードしてくだされば、一応ついていくつもりですが」
○ 氏「でもアルタンの女って踊れないやつが多くて(←けっ!)」
mana「(やる気が失せて)一応ショータンゴのステップとかも習いはしますが」
○ 氏「凄いね!!(ほんとに態度が変わった)あの…踊って貰えるかな…」
踊りました。とても空いてたし、好きそうだったのでサービスで派手めに踊りました。おおむねご満足のようでしたが、
○ 氏「あんたこのステップも知らないの?」
mana「どういうのですか?」
○ 氏「こうやってこうやって(片脚重心で脚を大きく横に出す)、キッと右見て左見て(大見得…?)、出してる方の脚を俺の脚に(この開き具合では絡められない!しかもリードなし…)」
mana「はぁ、(それって少なくともアルゼンチンタンゴじゃないし)習ったことしかやらないことにしてます(←大嘘)」

こんなやりとりおかしいですか?これほど徹底的な人は久しぶりだったけど、こういうタイプの人意外に多いのです。多分悪気はないと思うのだけどちょっとげっそりしてしまう。何がポイントかっていうと、manaがショータンゴもやるよっていったら態度が変わったように、見せることを重視する姿勢。その後に教えようとしたステップがリード無視の派手な動き=見せる動きだったこと。

協力して美しい形を作り出す。表現する。美しいことだと思いますし、Manaはあまり他の踊りはしらないけれど、そういう踊りもあるでしょう。例えばバレエのリフトとか。もちろん呼吸を合わせるし、協力するけれど、そこにあるのはそれぞれの目標の達成感であって、パドドゥ(二人の踊り)であろうが多人数の踊りであろうが、一人一人の上に表現は完成している。美しいです。見るの好きです。ステージタンゴはバレエのあり方とかなり近いものがあるんじゃないかな。

サロンタンゴも綺麗ですね。Manaもフロアを眺めてるの好き(踊るのはもっと好き)。でも、それはバレエやステージタンゴの美しさとは違うものだと思う。というのは、サロンで踊られる踊りは踊っている相手に対してアピールするのが一番だいじだと思うから。ステップ自体の動き、全体の動きとは比較的関係ない飾り足遊び足。「動きを美しくしたい」「綺麗に遊びたい」そう思うのは、少なくともmanaの場合はギャラリーのためではないです。

ステップに関わる動きが美しいということは、タンゴの場合想定外の無駄がないということ。無駄がなければ、相手のリードの効率が良くなる、相手のテンションを高めることもできる。遊びが綺麗ならば相手に「リード素敵だわ」「音楽いいわね」「こんな踊りをしたいんだけど、どう?」そんな気持ちを伝え、「あなたはこう踊りたいのね」「大人しく待ってるわよ」などと相手の気持ちを理解している相づちにもなる。

そこに他人に見せる要素があるとすれば、デートで連れ歩く女性の見た目を気にする男性のためにアクセサリーになってあげようとおめかしをするように、相手が恥ずかしくないように綺麗にしていたいということくらいかな。

女性も人によっていろいろなスタンスで踊っていると思いますが、どうでしょうか?見せるだけのステップや遊びって、なんだか空しくなぁい?やはり、相手あってのタンゴだから、相手にアピールしなきゃ、とおもうのです。

以上はギャラリーに見せるために踊るのか、相手を魅せるために踊るのか、そんなお話。

2、女のためか、男のためか

そして、相手にアピールする話。

男性は女性の5倍、10倍、20倍大変だと言われるアルゼンチンタンゴ。ミロンガで踊れるようになってからも奥が深いアルゼンチンタンゴ。過酷な環境の中で、「センス」と「努力する才能」と「うっかりタンゴにはまる機会」を持ってしまったばっかりに、生き残ってしまったミロンゲーロの皆さん。

最初に言ってしまいますが、どうか「女のために」踊って下さい。下心があってもOK。形にしなければOK。口にしなければOK。「気持ちよく踊ってくれ(俺のリードで」「美しく踊ってくれ(僕のリードで)」。

たまに自分の足に没頭しちゃったり、「ついてこい!」ってタイプの方いますね。

Mana「(あ…踏み換えちゃったけど、次のリードからすると足違う)ごめんなさい」
ある人「いいよ、いいよ。僕が適当にフォローするから、どんどん間違いなさい」

まぁ優しくないといったら嘘ですが、本当に間違う時も多々あるけど、今のは絶対リードおかしい!!とてもお上手な方だったので楽しく踊っていたのですが、その言葉を聞いた瞬間完璧にテンションが下がりました。なぁんだ、そういうつもりで踊ってたのね。

自分が正確に踊れば女がついてくるのが当然、と思うのはちょと甘い。女だって、その気にならなければついて行こうとは思わないのです。子どもだって「お菓子一緒に食べよう」「TVゲームで遊ぼう」って言われなければ、知らない人の車に乗らないじゃないですか(最近の子はこんなんじゃ拐かされないよね…Manaはお菓子には弱いけどさ)。まず、口説かなければ(踊りでね)。美味しいものを食べさせるように、薔薇の花束に思いを託すように、優しい甘美なステップで酔わせておけば後はそっちのもの。

心遣いが感じられてテンションが合ってくれば、女性も男性の心遣いを無にするようなことはしません。優しい心遣いで応えてくれるはず。もともと踊りたくて踊ってるわけだから、つまらない踊りをしたいわけがないのです。上記で「魅せた」ように、相手を誘惑するように、相手の気持ちを盛り上げるように、リードに応えて気持ちのいい空間を演出するのは女性の役割、男性の奏でる伴奏に歌を載せていくのは女性の役割。気持ちが通じれば、女性もまた「男性のために」踊ってくれるはず。はずですよ。ねぇ、女性の皆さま。

と、気持ちの問題で話をまとめようとおもったのですが…、最近踊っていると自分の身体の軸が物理的にとても気持ちがいいことに気付いてしまいました。これって…ねぇ。この気持ちよさを男性に伝えていくと、きっと男性も気持ちよくなるに違いないから、それが更に女性に…で、また気持ちよくなって…。増幅に増幅を重ねた先にはいったいどんな気持ちよさが待っているのやら。

あの世。天国と地獄では、それぞれ3尺3寸(約1m)のお箸を使っているのだとか。でも繰り広げられる光景は全く別。地獄ではままならない長い箸でそれぞれが自分の口に食物を運ぼうとして、突つき突つかれ壮絶な光景が。天国では箸の長さを利用して愛しい相手の口に食物を運んであげる、新婚夫婦のようにほほえましい光景が。つらいタンゴと気持ちいいタンゴって、地獄と天国の食事に似ていると思いませんか?

タンゴって、まだまだ奥が深い。なんて言っているようでは、ミロンゲーラへの道は遠い。

というわけで、本家サイト「アルゼンチンタンゴを踊ろう」もどうぞよろしくお願いいたします。よいお年を。また新年のミロンガで!

茗荷谷タンゲーラのHP「TANGOZUMZUM~アルゼンチンタンゴを踊ろう」
http://www.tangozumzum.net/

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